【映画感想文】ひねくれオタクの観た「ナラタージュ」
会えないときには、会いたくなる。
会えるときには、会いたくなくなる。
ひねくれ地下アイドルオタクのかべのおくです。
久々に映画を観たのですが、「ナラタージュ」という作品を選びました。
島本理生の原作を高校生の時に読んだことがあります。当時は「気持ち悪い」という感想しか抱かなかった記憶があります。
映画化されたことは知っていたのですが、絶対に重苦しい内容だったので中々手が出ず、思い切って再生ボタンを押しました。
全体的な感想
この映画は2時間19分もありますが、長くて見飽きた見どころが満載の映画でした。
会話シーンは、余計な言葉が少なくてセリフの一言一言が際立っているように感じました。
これも、松本潤、有村架純、坂口健太郎などの演技のなせる技なのでしょう。個人的に有村架純の泣き演技は圧巻でした。
また同じ構図のまま、カメラのピントを変えて発言者を際立たせるなどカットの工夫も面白かったです。
ちなみに、坂口健太郎が演じる小野くんはかなり強めの束縛をするのですが、「おかえりモネ」の菅波先生を思い浮かべながら観ると、ギャップがすごくて面白かったです。
あとは、思ったことを好きに語りたいと思います。
※多少のネタバレ注意です。
思わず求めすぎる人間の性
作中の泉の言葉に
というものがありました。
これって恋愛に限らずなんにでも当てはまると思います。
もちろん今以上を求めるのはヒトという種が繁栄するためには大事なことですが、果たして今の僕たちに必要なのかというと、別にいらないような気がしませんか?
ことに仕事以外のプライベートとか趣味では「足るを知る」状態で身の丈にあった生き方の方が望ましいのかもしれません。
もちろん、「それが出来たら苦労しないよ!」という人もいるかも知れませんが、できない人にはできないことが相応しい生き方なのでしょう。
必要とされている人こそ、実は求めている
高校時代を振り返った泉は、
と述べています。
高校3年生の時にクラスで孤立した泉を、演劇部に誘ったのが葉山先生だったからです。
これだけを聞くと、「クラスに馴染めなかった生徒に、教師が居場所を与えた」というどこにでもある話のように聞こえます。
しかし、話はもうちょっと複雑です。
泉の恩人である葉山先生も、
と振り返ります。
当時、葉山先生は結婚生活が上手くゆかず、東京から富山の高校に転勤したばかり時に現れたのが、泉だったのです。
葉山先生に出会う前の泉は、すんでのところで生命を絶つほど悩んでいました。
もし泉がこの世からいなくなったら、葉山先生の運命はどうなっていたのだろう…と思ってしまいます。
助けられている人が実は助けていて、助けている人が実は助けられているというのは、興味深いですが真実な気がします。
たぶん長く続いている人づきあいって、一方的に与えているようで、実は与えている側も別の形で見返りを受け取っているものなのではないでしょうか?
離れたからこそ分かること
発表会での共演を経て泉は小野くんと付き合い始めたわけですが、柚子の事故の帰り道に
と切り出します。
一見、泉が小野くんと過ごした時間は遠回りのように見えますが決してそんなことはないと思います。
むしろ、葉山先生が本当に大切な人だと気づくために必要な手続きだったのではないでしょうか?
小野くんは恋人想いな人格者なものの、若さゆえに、感情が抑えきれないキャラクターに映りました。
作中では徐々に泉と小野くんがズレてゆく様子が巧みに描写されていて、映画化した意味を感じました。
少し離れていらなくなってしまうわけでなく、離れたからこそ深まる人間関係ってあるんだと思います。
僕も時々普段行かないアイドルのライブに行くと、その分主現場が恋しくなることがあります。
セットリスト、MC、特典会の流れなど、ところどころで自分の感覚とズレている部分が目についてしまうのです。
オタクをしていると、特定のコンテンツに浸ることを是として「浮気は許さない!」みたいな空気を感じることがあります。
しかし、勇気を持って離れるという選択も時には尊重されていいのではないでしょうか?
おわりに
まとめます。
松潤になって、人生イージーモードにしたい。
以上です。