ハロプロオタクが他界する本を地下アイドルオタクが読んだので、感想を書こうと思う
はたして推しに「よいお年を」が言えるのだろうか。
職場でインフル・コロナが大流行中。地下アイドルオタクのかべのおくです。明日からは在宅勤務します。
仕事も落ち着きはじめた頃、気になる新作が発売されたので読んでみました。タイトルはずばり「推しが卒業するとき」です。
アイドルオタクっていいなあ。
そんな気持ちにさせられる本でした。
本の内容は、著者である森貴史さんの元Juice=Juiceの稲場愛香さんの卒業にまつわる体験談です。僕自身、ハロプロは年に数回フェスで見かける程度でほとんど知らないと言っても差し支えないのですが、ハロプロ知識ゼロの地下アイドルオタクでも確実に楽しめる内容と言っても差し支えありません。また、著者の研究者としてのリサーチ力にも感服しました。
このnoteを執筆している2023年末、地下アイドルシーンを彩ってきた有力グループの解散が相次いでいます。地上アイドルなら柏木由紀さんのAKB48卒業が来年3月に発表されました。最早「このグループだから安心」「この推しメンだから安心」などということはなく、アイドルオタクはいつだって推しの卒業と隣り合わせです。来るべき「その時」をどうやって迎えるのか。多少なりとも学ぶべきところがある本だと思います。
そんなわけでにわかハロプロオタクの僕ではありますが、普段の地下アイドルオタクとしての「推し活」と比べつつ、この本の内容紹介と感想を記していきたいと思います。
本の紹介・内容
著者の森貴史さんは関西大学の教授でありながら、ハロプロを応援して全国を飛び回るプロのオタクです。この本は、著者の推しメンである元Juice=Juiceの稲場愛香さんが2022年3月18日に卒業発表してから、2022年5月30日に日本武道館の卒業を迎えるまでの記録と、それにまつわる筆者の体験を記しています。
本の内容は以下の通り。
ちなみに、稲場さんは同事務所のカントリー・ガールズを卒業したあと、Juice=Juiceに復帰した経歴があります。この2グループにおける著者の「推し活」の記憶と記憶をクロスオーバーさせながら、「推しの卒業」という一大イベントに向かっていくオタクの姿を描く意欲作です。ただ、時系列の整理がしっかりされているので、さほど読みにくさは感じません。
加えて章と章の合間には、著者が出会ってきたオタク達が「オタクの肖像」として紹介され、「推し活」の多様さを感じつつオタクに対する理解を深めることができます。
感想
それでは、僕がこの本で印象に残ったポイントを引用しつつ、思ったことをつらつらと述べていきたいと思います。
卒業を実感するまで
この本では、筆者が稲場さんの卒業発表をさまざまなメディアで聞いて、ようやく卒業の実感が湧いてくるシーンが描かれています。序盤の見せ場と言っても過言ではありません。
これは僕からすればなかなか体験しえない状況なように感じられました。なぜなら地下アイドルオタクの卒業発表は、多くの場合ライブの途中にアイドルの口から告げられるため、現実を受けとめられないなどど言っている暇がないためです。
それに地下アイドルオタクは、多い場合は週に数回はアイドルと交流するため、言葉に発されずとも何らかのサインを受け取ってしまいます。だから卒業が発表されたとき、普段から推してるオタクからすれば「まあ、そろそろだったよね」となるのが大抵なように思います。
対してハロプロのアイドルとオタクの関係性は少し違う気がします。ライブもほとんどが大人数を収容するコンサートホールですし、アイドルとオタクが直接話せる機会は本当に限られています。だから最初に卒業を聞いても「え?え?マジ?本当に?」と疑いたくなりますし、著者のように何度も確認しないとそれが信じられないとなるのも頷けます。
また、それからことあるごとに卒業のことを考えては仕事に手がつかないというエピソードは、あまりに純粋すぎて読んでいるぼくの方まで気の毒になりました。おそらく地下アイドル現場では卒業があまりにも日常茶飯事過ぎて、オタクの感覚がバグっているんだと思います。もう少し新鮮な感情を大切にしていきたいものです。
ちなみに、僕がアイドルの卒業を実感するのは、次のような場面です。
別にオタクでなくとも、人間であれば大切な人との別れは確実に経験するものです。しかし別れたことを本当に理解するのは、過ぎ去った時間がどんなに幸せだったのかを実感するときではないでしょうか。
事務所の「神対応」
この本では、ハロプロという事務所、そしてそのなかでも稲場さんという人気メンバーならではの卒業発表のタイミングの妙に詳しく触れています。
ちなみにこの箇所、僕は1回読んだだけでは「何が神対応なの?」となってしまい、再度読み返してやっと理解できました。この本が時系列を詳細に書いていたのは、このことを解説するためだったのだとわかり、著者の入念なリサーチとその気概に感服しました。
卒業発表から卒業ライブまでの日々は、オタクが自分の「推し活」の答え合わせをする期間だと思います。自分が推しメンとどんな思い出を作ってきたのか、現場のオタクとはどんな関係性を築いてきたのかを振り返ることになるためです。たとえその子が卒業してから芸能活動を続けたとしても、別のグループでアイドルを続けたとしても、再び同じ関係性で話せる可能性は限りなく低いでしょう。つまりオタクはその現場での何かしらの答えを得る必要があるのです。
オタクが別れの準備を整えるには、そこそこの時間がかかるような気がしますが、これはアイドルも同じなのではないでしょうか?自分を普段から応援してくれていたオタクと、普段通りに接しながら卒業を迎えたい。オタクとアイドルが万全の「終活」を送るには、運営も少なからずの配慮が必要になると考えられます。
僕はとある現場で、卒業メンバーのメッセージカードを集めていたオタク達が「そろそろ並ぼうか。俺たちには時間がないんだ。」と言い残してチェキ列に並んでいった姿が未だに忘れられません。もちろんメセカやスタフラを出すのはあくまでのオタクの厚意でしかありません。しかし、推しメンのことを現場で一番応援しているオタクが、実は一番いろんなことをやっていて一番忙しいことはもっと多くの人に知られていい事実だと思います。
アイドルでなくなった推しメンを応援するということ
この本のメインは稲場愛香さんの卒業までの道のりがメインではありますが、卒業後に現場に出向いた様子も描かれています。
ちなみに筆者は稲場さんが卒業された後、稲場さんの現場以外に、アンジュルムの平山さんや橋迫さん、元Juice=Juiceの現場に出向いているそうです。DDの僕としてはとても仲間意識を感じました(?)。
アイドルオタクが推しを作るときに考えることは、果たして「可愛いかどうか」だけでしょうか?実際には「アイドル現場」という枠組みの中にある様々な要素が絡んでくると思います。ざっと上げても次のような感じです。
アイドル自身(ルックス、パフォーマンス、トーク、SNS)
グループ(コンセプト、楽曲、プロデュース)
運営(運営方針、特典会レギュ)
人間関係(オタク、友人、家族)
アイドルオタクの推しが決まるときは、本当に絶妙なバランスの中で成立しうるものなのです。どれか一つを掛け違えると、いずれ必ず無理が生じることになります。
対して元アイドルを応援する行為は、アイドルとして応援していたときよりも変数が少なくなって「推し活」の純度が高まるように思います。アイドルから元アイドルになれば、推すか推さないかは究極的に「その子が好きかどうか」に集約されます。純粋にその子を応援するファンにならなくてはならないのです。
「アイドルじゃなくなっても、関係性が変わってしまっても、その子のことを応援したい」。そう思えるようなアイドルに出会えたらそれはとても幸せなことなのではないでしょうか。
著者の推しメンである稲場愛香さんは、カントリー・ガールズを一度不本意な形で卒業しています。それから復帰するまでの1年半、戻ってくるまで待ち続けていられたのは、著者が稲場さん自身に強い愛着を感じていたからなのでしょう。これは別グループへの転生が多く見られる地下アイドル現場に通う身としても、実感しやすいポイントです。
個人的な感覚として、別グループから転生したメンバーについてくるオタクの方々は、人一倍メンバーに対する思い入れや愛着が強いと感じます。逆にグループが変わると推さなくなってしまうオタクは、アイドル自身よりもグループや現場への愛着が強いということになります。そのような人が離れてしまうのは、ある種仕方ないといえるでしょう。
卒業の解釈について
筆者は卒業の定義について、筆者はマキタスポーツさんの「終わりを愛でる芸能」というアイドルの定義を引用しつつ次のように語っています。
「アイドルとは未完成な存在だから、完成されたら卒業するもの」という考え方は卒業の言葉の意味から考えても至極正しいものだと思います。卒業ライブはアイドルとオタクにとっての集大成だからです。いかに華々しい卒業を迎えられるか、これはアイドルとしての目指すゴールのひとつだと思います。
しかし以上のような考え方は少し理想論すぎると思います。これは僕が、望まれていない卒業、悲しい卒業をたくさん目にしてきているためです。アイドルの卒業はもう少し広義に捉えて、「アイドルという職業からの退職」と考えたほうがいいと思います。
アイドルがアイドルになる前、彼女達にとってアイドルは夢かもしれません。しかし一度アイドルになってしまったら、「アイドルとしてどう生きるか?」ということを考えなくてはいけなくなります。夢見たような大きな舞台には立てない、動員も思ったようにはかけられないし、目を見張るパフォーマンス能力もない。そんな現実と向き合いながら自己研鑽に励むのは、ビジネスマンのそれと何ら変わりません。
そんな彼女たちにとっての卒業のタイミングとは、「自分はアイドルをやらなくても幸せだ」と気づいたときではないでしょうか?そして数年間努力を重ねても、何も変わらないことに気づいてしまった。実はアイドルよりも、アイドル周辺の職業に興味を持つようになった。こう考えて卒業するのは、会社員の転職とほぼ同じです。つまり卒業ライブは、「アイドル」という職業を退職する女性の送別会とも捉えられると思います。
アイドルのセカンドキャリアについて
しかし、アイドルのセカンドキャリアが決して生易しいものでは無いことは、すでに多くの元アイドルの方々の著作によって語られている通りです。アイドルとして養ったスキルは汎用性に乏しく、アイドル以外で活かしにくいと考えられるためです。
たとえば地下アイドルなら、表層を切り取っても次のようなスキルが求められます。
可愛く歌って踊りながらオタクにレスが送れる
新しい振り付けやフォーメーションを短期間で習得できる
オタクと楽しく会話をしながらチェキにサインとコメントを記入できる
ライブに加えてライブ配信を朝夜行いながら宿題チェキを書ける
これらは普通に生活していたら絶対に磨かれることのない特殊技能です。しかしアイドルたちは多くの場合、スキルを売るための営業力・コミュニケーション能力・事務能力は持ち合わせていません。つまりアイドルじゃない仕事で生きてゆくには、ゼロからキャリアをスタートする気概が必要なのです。
元アイドルがしばらく別な仕事をやったあと、結果としてアイドルに復帰する人もいますが、これは社会人としてのスキルに乏しいために「身体が続く限りはアイドルを続けた方が稼げる」という至極合理的な選択なんだと思います。
その点でアップフロントグループは「M-Line club」というOGメンバーのための枠組みが存在します。ハロプロOGという肩書きを持ちながら新しいことにチャレンジできるのは、応援しているオタクからしても非常にありがたいことなのでしょう。
オタク個人の気持ちとしては「アイドルにはいつまでもアイドルでいてほしい!」と思いますが、それは叶わないのも現実です。最近は地下アイドルのセカンドキャリアを支援する会社も見られます。こういった動きがもっと一般的になってくれたらいいなと願うばかりです。
「推し活」の終着点
筆者は、稲場さんの卒業コンサートを見ていたときの心境を以下のように振り返っています。
「ちょっと盛りすぎじゃない?」と思う部分もありますが、この気持ちにはとても共感します。
僕はライブで時々、「ああ、自分はこのために生まれてきて推しメンに出会ったんだなあ」と考える瞬間があります。それは大抵、ワンマンライブや生誕祭の見せ場、メンバーが感謝のメッセージやお手紙を読んだあとの1曲目、もしくはソロ曲の最中です。推しメンに出会って推していなければ、見られなかった景色、出会えなかった仲間、味わえなかった感情。それが特別な空間において、途端に大きな実感を持って迫ってくるのです。
まとめると、「推し活」の終着点の一つは、推しメンとの巡り会いによって、人生が変わったことを実感することだと思います。それがたとえよくない方向に変わっていたとしても、それでいい。かけがえのない経験をさせてもらえた。そう思えたとき、オタクの「推し活」は成功と言えるでしょう。
ただし付け加えると、僕は「推し活」で人生が変わるには、長い時間を費やす必要はないと思います。それはもしかしたら、たまたま目にした推しグループでもないライブの、推しメンでもないメンバーの一瞬の仕草、レスかもしれません。
著者は、「推し活」はある種の修行のように捉えているように感じます。僕もその考え方は否定しませんし、推しメンに魅せられたオタクが結果的に長い時間を費やすことは多くあります。長い時間をかけて推しメンやオタクと関係性を深めるのは重要でしょう。しかしそれは結果でしかありません。「推し活」自体はもっとインスタントなものになっていいと思うのです。
ちなみに僕の人生が変わった瞬間は、とあるアイドルが卒業公演で語った次のような言葉を聞いた時です。
僕はいまだに、その子のことが忘れられなくて、忘れたくなくて、その子がいたグループに通っては彼女の面影を探し続ける羽目になっています。
オタクの行為は確かに「推し活」です。しかし続けてゆくと、世間一般の「推し活」の概念とはかけ離れてくる気がします。その執着や固執、見栄や虚栄心の塊に対して、もっとふさわしい名前が与えられるべきなのではないかと思いつつ、なかなかそれが見つからずにいます。
おわりに
まとめます。
今日は、推しメンに会いに行こう。ちゃんとマスクをしてね。
以上です。