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「腹をくくる」の重み。54歳で大手IT企業を退職し、未経験からWebライターに挑戦した河村さんの転機を聞く。

今回はWebライターラボで知り合った河村和人(以下、河村)さんへのインタビュー記事です。河村さんは、現在56歳。2年前に大手IT企業を退職し、現在は金融特化ライターをされています。

前職では、システムエンジニアから始まり、管理職やシステム開発の責任者もされていたそうです。勤続数十年の大手IT企業を退職して、なぜWebライターになったのか?
その経緯をお聞きしました。



―今日はインタビュー受けてくださって、ありがとうございます。河村さんは現在金融特化ライターをされているとか。

河村:はい。クレジットカードや投資、保険などの金融ジャンルの記事を書いています。

―HPも拝見したのですが、FP2級や、簿記の2級も持ってらっしゃるんですね。ずいぶん前からWebライターをされているのですか?

河村:自分がWebライターを始めたのは、2022年からなので現在3年目です。金融ジャンルもWebライターもまったく未経験で、会社をやめた後に勉強を始めました。

―2年間で、これだけ実績を積めるなんてすごいですね!

河村:自分の場合は退職していましたからね。家族を養うためにも稼がなければいけないので、そこは腹をくくって取り組みました


エンジニアとしてキャリアスタート。数十年の会社員生活を経てうつ病に。


―前職ではどういったお仕事をされていたんですか?

河村:購買システムや経理システムを作るIT企業で、開発プロジェクトのマネージャーや、システム運用保守のリーダーを担当していました。

―ホームページで、大学の専攻は法学部だと拝見しました。もともとは文系出身で、システム開発のマネージャーをされていたんですか?

河村:そうです。私が入社したバブルの頃はIT人材がかなり不足していました。そのため自分のような文系出身でもシステムエンジニアとして入社できたのだと思います。
おっしゃる通り大学の専攻は法学部でしたが、就職活動をするとき、何かカタチに残るような仕事をしたいと思ったんですよね。それで、一般的な文系出身者が就職する営業職や事務職ではなくエンジニアを選びました。
入社してからプログラミングの研修があったんですが、やはり数学の知識がないときつくて。居残りしながらなんとか頑張った記憶があります。

―その頃から勉強熱心だったのですね。そういった苦労もありながら、数十年勤めてシステム開発の管理職までされていたと。そんな河村さんがなぜ退職を選ばれたんですか?

河村:端的に言えば、うつ病で休職して、会社に行けない状態になってしまったからです。きっかけはある大きなシステム開発の責任者になったことでした。
そのシステム開発は納期がタイトだったこともあり、かなり業務負荷が高かったんです。また、クライアントからの業務要件の提示が遅れることもあって、その対応のため忙殺されていた感じでした。
部下の業務量も平準化する調整なども重なり、そうとう疲弊しました。
さらに、通勤時間も往復3時間ほどかかっていたため、プライベートの時間や睡眠時間を削る必要もありました。
これらの要因が重なって、ある日まったく会社に行けなくなったんです。

―それは大変な状況でしたね。でも、それまでも他の部署で管理職をされていたんですよね?通勤時間が長くなったことで、さらに疲弊して会社に行けなくなったのですか?

河村:通勤時間が長くなったことも、出社できなくなった要因の一つです。ただ今思えば、就職してから約30年の会社勤めによって少しずつストレスが蓄積され、それがこのタイミングで一気に身体の症状として表面化したのだと思います。

―やはりどんな方でも無理はだめですね・・。真面目な人ほどうつ病になりやすいというのがよく分かります。


退社を決意し、54歳でWebライターに転身

―退社を決意したのはどのタイミングだったんですか?

河村:病院で「無理せずに会社を休んで、ゆっくり静養した方が良い」と診断を受けた時ですね。
たしかに1番ひどいときは、まったく家から出られない状態でした。何をする気力も起きずボーッと寝てるか座ってるだけ、という期間が半年ほど続きました。この頃のことは、本当につらかったの一言に尽きますね。

―それは大変でしたね。退社後はどういった経緯でWebライターを目指したんですか?

河村:退社してからは少しずつ調子がよくなってきました。家族を養うためにまた仕事をしなければと思ったのですが、会社員に戻ることはまったく考えられなかったですね。
転職サイトも登録はしていたのですが、管理職としてのオファーばかりで、人間関係で疲弊するような働き方はもうしたくないと思いました。

そんな中、ちょうど両親の介護も意識し始めていたので、在宅でできる仕事を探すようになりました。
このとき自分と同じように仕事のストレスで体調を崩して、Webライターに転身した人のブログを見つけましてね。もともと学生時代から文章を書くことは好きだったので、これなら、と挑戦し始めたのがきっかけです。

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今後の挑戦とメッセージ


―今後はどういったライター活動を考えてらっしゃるんですか?

河村:最近はAIの台頭もありますので、インタビューの仕事などにも挑戦して仕事の幅を広げたいと考えています。

―これからも挑戦を続けていくということですね。不安はありますか?

河村:もちろん初めてのことなので、不安がないわけではありません。でも、腹をくくるしかない、という感じですね。

―何か最後にメッセージなどお願いします。

河村:とにかく何よりも、無理はよくありません。
自分が管理職だった頃、部下に退職を打診される経験が何度かありましたが、その頃の自分には彼らの気持ちは、あまり理解ができませんでした。
でも今は自分が経験してみて、彼らの気持ちも分かります。
その決断は間違ってないよ、と心から応援したいと思えるようになりました。
一度きりの人生。無理せず、自分の好きなことをやっていきましょう

―本日はありがとうございました!


いかがでしょうか。

河村さんとのインタビューの中で、心に残ったのは「腹をくくるしかない」という言葉でした。
真面目そうなお人柄からさらりと出てきたその言葉の裏側には、これまでの努力や実績が感じられて、とても重みがあると感じました。

エンジニアからシステム開発の責任者と競争のはげしいIT企業で数十年勤務。体調を崩すも、その後またライターとして活躍されている河村さん。

「努力を重ねて仕事を勝ち取ってきた」
「腹をくくったからには努力する」

そういう人生を送ってこられたからこそ、自分の人生を再び舵取りできて、これからも「腹をくくって」挑戦を続けるという言葉が出てきたのだと思います。

私も、自分が努力できる人間であることを自分自身が信じてあげられる、そんな人間になりたいと感じました。



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