『個』のひとつひとつに光を当てることこそが、『全』を輝かせることになる。
昨年の終わり。
この春中学に進学した娘は、悩みに悩んだ末、とあるダンスチームを退会しました。
オーディションを受け、合格した時はそれはそれは嬉しそうで、これまでよりもっとレベルの高い世界で踊れることが楽しそうで、レッスンも自主練もとても頑張り(あまり何かに熱中する子ではなかったので)親としても成長を楽しみにしていました。
でも、結果としてはダンス自体を嫌いになるくらい打ちのめされ、辞めることとなりました。
さて…今発売中の雑誌『商業界』6月号の人材特集に『心に響く「社内表彰」制度のつくり方』というものがあり、何人かの方が寄稿されていました。
その中で、赤沼留美子さんの書かれた
『女性パート・アルバイト 表彰制度の光と影』
という記事に、この娘のダンスチーム退会騒動と重なるところがあり、なるほどなぁ、と思ったのです。
『認められる』ことの大切さ
表彰制度は悪いわけではありません。
…中略…
頑張っているパートさんに光が当たるようにしてくださるのは、とてもありがたいことです。
しかし、こういったパートさんに善かれと思う取り組みの課題は、現実には「大多数」のパートさんにとってはひとごとであるという点です。
この文に、まずハッとしました。先のダンスチームでの我が子がまさにこうだったから。
親としてはダンスを習う上での『上級クラス』という認識でいましたが、実際は『上手な子をたくさん集め、その中からさらに上手な子を前に、あとはバックダンサー』という構図。
これはこういった芸能の世界にはありきたりなのかもしれませんが、習い事として通わせている親からすると、上手な子とバックの子の指導内容に大きな差があることはかなり疑問でした。
そのため何度か先生にチームの『方向性』をお聞きしましたが、「ダンスを通して意思のある子に育ってほしい」というような教育的な(習い事的な)回答だったので、ますます矛盾を感じてしまいました。
ここは、選び抜かれた精鋭を見つけて売り出す芸能事務所なのか?
切磋琢磨しながら上達を目指し、チーム全体の成長を目的としたダンス教室ではないのか?
経験豊富な人や得意な人は頑張って結果を出し、表彰されます。だから社内ではいつもだいたい同じ人が表彰されるのです。
…中略…
しかし、「いや、もう少し大勢のパートさんに盛り上がって参加してほしいな」と願うのでしたら、「何のためにこれを取り組むのか(意図)」をきちんと伝え、「こうやれば成約取れます」というテッパンの基本手順を教えてあげます。できた工程を「認める」言葉を掛けます。
こうやって、「できるようになる工程」に、ちゃんと上司先輩が付き合う必要があります。
こういった「仕込み」なしで、「結果だけに着目して褒賞」という手を抜いたキャンペーンは、大多数の諦めているパート・アルバイトさんたちにとっては自分ごとにはなり得ないのです。
ダンスチームは、まさにこの状態。
曲が変わっても舞台が変わっても、前にいる子はほとんど同じ…
もちろん、娘の実力が上手な子たちに遠く及ばないことは重々承知しており、また娘も「前に出たい!」というわけではなかったのです。
もともと競争心が薄いのもあり、それよりは自分自身の「ダンスを今よりもっと上手になりたい」という願い…それだけでした。
しかし『その他大勢』になってしまうと、そこに個性は必要なく、全員が全く同じ動きでなければならず、その『全』からはみ出ると厳しく叱責される。
たとえ自分基準で前より上手にできたとしても、誰からも褒められることもない。
もちろん背後の子たちは、ステージではライトが当たらない。
そして、彼女の心を最後に打ち砕いたのは、最後の最後まで毎回レッスン担当だった先生に『名前すら覚えてもらえなかったこと』でした。
自分ごとでないことに、一生懸命になれる人なんかいない
自分も会社勤めをしていたからわかりますが、職場で自由に意見を述べることができなかったり、小さな日常の働きぶりを『認めて』もらえなかったりすれば、モチベーションは上がりません。
現場で、より近くお客様と接することで見える改善点を、上に言っても意味がないと諦めている人たちをたくさん見てきました。
そしてそうなった時、仕事は『ただ、させられているもの』であり、自分の意思で決めて動く『自分ごと』ではない……
こうなると、その人自身の成長も、ひいては会社の発展も見込めなくなる。
娘にとってのダンスチームも、その状態になりました。
頑張っても頑張っても、個として認められることがない(そもそも名前さえも覚えられていないし)。
出番が少ないため、レッスンも少ない。褒められることもないから、上手くなっているのかもわからない。
だったら練習したって、しょうがない。
誰も私なんか見ていない。
もうダンスなんか嫌い……
『個』として光が当たらないことの恐ろしさを、娘を通して痛感しました。
なんのためにこのチームにいるのか、チームがどこを目指しているのか、わからなくなった私たち親子は、これでは成長できないと判断し、思い切って辞めたのです。
駒ではない。個でありたいんだ。
私が、接客ロールプレイングコンテストの中で最も意味があると感じる瞬間は、「各店で接客レベルを上げるために全員であれこれ出題部分を教え合う姿」です。
…中略…
私はファイナルの感動よりも(感動は確かにします)、各店での地道な教え合いの方が尊いと思います。一人一人が「期待されて、教わり、頑張りを認めてもらえる」からです。
私も、どんな組織もこうであってほしい、こうあるべきだと感じています。
そして、私自身の先のダンスチームへの違和感は、ここにあったのだとはっきりわかりました。
「期待されて、教わり、頑張りを認めてもらえる」こと…
職場であれ、習い事の場であれ、なにかを大勢で作り上げていく場合に必要なのは、『駒』ではなく『個』である、と。
表彰制度をうまく生かせる『土壌』として、「一人一人に光が当たるような職場の日常」こそ、経営者の方に気を配っていただきたいことなのです。
この一文で記事は締めくくられていました。
組織づくりは、難しいものです。
人を雇うとなると、さらに難しい。
家庭でも、職場でも、どんなところでもそれは同じ。
だからこそ、この『個のひとつひとつに光を当てることこそが、全を輝かせることになるのだ』ということを、忘れずにいたいと思いました。
*
ダンスチームを辞めた娘は、その後に入った別のグループでいきいきと踊ることができ、やっぱりダンス大好き!に戻ってから、無事卒業することができました。
今後は中学生活の合間に、楽しむ程度に続けていく予定です。
できないことの言い訳かも
根性が足りないだけかも
我が子可愛さゆえに間違った判断をしているのではないか…
そんなことをぐるぐると想いながら下した結論でしたが、親としてあの時の判断は間違っていなかったなと、今、安堵しています。
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