記事に「#ネタバレ」タグがついています
記事の中で映画、ゲーム、漫画などのネタバレが含まれているかもしれません。気になるかたは注意してお読みください。
見出し画像

発達障害、映画「PERFECT DAYS」の平山に共感。

アラ還、発達障害男の自分探し日記___#2
映画「PERFECT DAYS」の主人公、平山に共感。

 今日は大晦日らしい。2024年が終わるみたいだ。年末年始は、仕事が遅い僕にとって世間が休んでいるうちに遅れを取り戻す期間でしかない。
 なのに、Amazonプライム・ビデオで、映画「PERFECT DAYS」が無料で視聴可能と知り、つい観てしまった。
 コロナでレギュラーの仕事を失い、ほぼ同時期に大学病院で発達障害と診断された。もうすぐ60歳というタイミングだった。
 カウンセラーには「やりたいことだけやりなさい」と言われたが、30年以上ライター業で生計を立ててきたにもかかわらず、それがやりたいことかと訊かれると、イエスと答える自信がなかった。
「やりたいことだけやるなんて雲を掴むようだし、そんな経済的余裕はありません」と答えるとカウンセラーは「生活保護を受けながら、やりたいことを探せばいい」と言う。
 なんとか生活保護にならないように必死で崖にへばりついてるのに、頭を踏まれた気分にる。カウンセリングは当面、お休みすることにした。
 そんな僕は、ヴィム・ヴェンダース監督の映画「PERFECT DAYS」に登場する主人公、役所公司さん演ずる、60代半ばのトイレ清掃員・平山の生き方に胸を抉られた。
 この雑文は、映画をすでに観た人に向けたもので、ネタバレもあります。ストーリーの説明はしません。ご了承ください。

老い、孤独、貧しさ


 スマホの液晶画面に映し出される平山の暮らしぶりを、人ごとだとは思えない。この作品のテーマは老い、孤独、貧しさであり、僕が直面しているものに他ならない。そして平山と僕とでは、それらに対する向き合い方に大きな違いがある。
 彼は僕と違い、誰かの気分次第で仕事を取り上げられてしまう心配はしていない。僕はクライアントで人事異動があるたびに失業し、その度に仕事相手を探す不安定な人生を歩んできた。が、彼の身には、そのようなことは起こらないだろう。
 もちろん、彼が死んだら新たな清掃員が補充されるだろう。その意味では平山も僕も、社会における取り替え可能なパーツである。
 しかし、決して仕事に手を抜かない真面目な清掃員は会社にとって貴重な人材である。それは疑いはない。60代半ばの設定ならば、恐らくは準社員か委託契約だろう。本人の都合以外で契約を解除されることは、まず、ない。
 毎日出勤しているようなので、僕には縁のない社会保険にも加入している可能性がある。彼は僕にはない安定した収入を得ている。
 彼の暮らしは慎ましやかだ。が、貧しくとも僕と違い誰かの情けに縋るのではなく、現代社会で必要とされる仕事を着実にこなし生計を立てている。それだけで尊敬できる。
 彼が、カウンセラーが僕に言った「やりたいこと」をしてるのかは不明だが、少なくとも仕事に正面から向き合い、誇りを持って生きている。いまだに自分が何をすべきか迷っている僕に比べれば、はるか先を歩んでいる。

自分だけの世界


 彼は毎朝、アパートの前に停めてあるライトバンに乗り出勤する。そのとき必ず空を眺める。趣味として読書や植物の栽培、フィルムカメラを用いた写真撮影を楽しんでいる。そして車で移動中はカセットテープで洋楽を聴くのだ(あまり音楽に詳しくないので多くは語らないが、選曲の趣味は相当に良い)。
 僕は移動時間、iPhoneで英会話の音源を聴いているので、音楽はほとんど聴かない。仕事のために書物を読み、休みの日は疲労困憊して寝ている。疲れた時に気分転換に本を読むという人がいる。僕も学生の頃はそうだったかもしれない。でも、いまは本を読むと疲れる。僕も平山のように仕事以外の読書を楽しみたい。
 僕も写真を撮ることがあるが、雑誌のレイアウトを念頭に仕事のために撮影することが多い。もしくは、Instagramのストーリーズに投稿するために撮影している。世間の人が自分のことを忘れないでいて欲しいという願望からだ。
 僕は、平山のように仕事と切り離された、純粋な趣味は持ち合わせていない。僕が趣味の延長線上にあるような仕事を選んでしまったからかもしれない。だから、自分だけの世界を持っている平山が羨ましいのだ。
 似たような感想を持つ、コンテンツ制作系の仕事に従事している人は少なくないかもしれない。
 僕は整理整頓が苦手だが、平山の部屋は清潔そのものである。僕は不規則な生活で午前中は寝ていることも多い。就寝時には睡眠導入剤を服用する。
 規則正しい生活を送り、毎朝、空を眺める平山にメンタル系の病で通院している様子はない。自分よりはるかに心に余裕がある人物に見える。
 厚生労働省の「簡易生命表(2021年)」によると、独身、一人暮らし男性の平均寿命は67歳だ。結婚している男性の平均寿命81歳に比べると、14年も短い。孤独はストレスなのだ。これは精神医学的に証明されている。ニューヨーク・タイムズでそんな記事を読んだことがある。

孤独の中の喜び


 映画の中の平山は明らかに孤独である。仕事中にトイレの壁と衝立の間に隠されていたノートの切れ端を見つける。そこには、やりかけのオセロ・ゲームが描かれている。彼は紙切れにゲームの続きを書き込み、元の位置に戻す。同じトイレに出勤するたびに、その行為をくり返す。
 数日後、オセロ・ゲームが終了し、”Thank you.”と書かれた紙切れが現れる。平山は嬉しそうに微笑む。どこの誰だからわからない他人とのささやかな交歓にいい歳したオッサンが子供っぽい笑みを浮かべる。
 この気持ちは、孤独な人間にしかわからない。家族や会社の同僚たちに囲まれて生きている連中には理解できないかもしれないが、僕にはよく分かる。
 平山はとても無口である。一人暮らしで普段は会話相手もいないのに、独り言も言わない。僕は一日中、独り言を言っている。やはり、平山は孤高の人に見える。
 彼には安そうな行きつけのスナックがある。高収入でなくても、質素に暮らしていれば、たまにはそういうところでお酒を呑めるのだ。石川さゆりさん演ずるスナックのママさんは、平山に他の客には示さない気遣いをみせる。
 孤独な平山は同情されてるのだろうか。平山はこのママさんに仄かな恋心を抱いているようでもある。だが、それは若者のガツガツした想いとは明らかに異なる。いつもひとりぼっちだと、微かな繋がりでも嬉しい。そんな感じなのだ。

誰にも頼らない


 ある日、開店前の店内で、そのママさんが見知らぬ男と抱擁し合っている場面を目撃する。思わず踵を返し、コンビニで、タバコと缶ビールを買って近くの河川敷で、黄昏る平山。やはり、ママさんが好きだったのだろうか。
 そこに、三浦友和さん演ずる、ママさんと抱き合っていた、サングラスのオッサンが登場する。平山よりも裕福そうである。そのサングラスおじさんは、平山に、自分はママさんの前夫であり、ガンに侵されていて余命いくばくもないと告白する。そして、ママさんのことをよろしくと言うのだ。
 平山はそんな関係じゃないと否定するが、おっさんたちは川の流れを眺めながらビールを飲むのである。
 河川敷のコンクリートの上に、街灯が作り出す2人の影が踊る。「影と影が重なると濃くなるのか〜。わからない。何にもわからないままなんだなぁ〜」サングラス野郎はため息混じりに、そんなことを言う。
「試してみましょう」と平山。2人の初老男は影を重ねる。そう遠くない未来に平山にも訪れるだろう死の匂いを纏った、ママさんの前の旦那が地面を凝視する。そして、「やはり、濃くなりませんね」と呟く。
平山はその言葉に気色ばむ。
「ふたつのものが重なって濃くならないわけない。ほら、濃くなってる」。
 孤独ゆえの願望である。今、自分は1人だが、誰かと重なり合えば、きっと変化が起きる。平山はそう思いたいのだ。そうでなければ、ただ寂しいだけで未来に希望がないではないか。彼は、サングラスの男より少しだけ長く生きるのだ。
 物語の中で、平山はカセット・テープを聴かせてあげた金髪の若い女の子に、ほっぺにキスされる。おじいさんが若い子にキスされる、だって?唐突に見えるかもしれない。
 が、このシーンは意外ではない。平山は誰にも頼らず自分の世界に生きている。自分を厳しく律している人間だけが放つ独特のオーラがある。ほとんどの勤労者は誰かに搾取されながら誰かを搾取しているのだ。でも、このおっさんはそうではない。だから、金髪乙女にしてみれば、さすがに歳の差がありすぎて付き合う対象ではなくても、ほっぺにチューくらいあり得る。
 いつの時代も孤独は魅力的なのだ。

謎の姪っ子



 しかしこの映画でひとつだけ引っかかる箇所がある。ある日、平山が帰宅すると、彼の姪っ子なる少女がアパートで待ち構えている。そして、この子は随分と平山を慕っている。2人で銭湯にも行く。突然、降って湧いたように登場する姪っ子は「お母さんは、おじさん(平山のこと)の話をすると話題を変えたがる」とか「おじさんは(兄妹なのに)お母さんと似てないね」などと意味深なことを言う。
 数日後、姪っ子の母親が、運転手付きの高級セダンで、我が子を迎えに来る。そして、平山と抱擁。
 そこで観客は彼のバックグラウンドについて、思いを巡らせる。この姪っ子は実は平山の娘なのでは?平山は裕福な家庭の出なのでは?そして、平山はなんらかの理由でその家を飛び出して、ひっそりと暮らしているのでは?
 こうなると、話はとんでもない方向に向かう。もし、姪っ子が娘なら、離れているとはいえ彼にはれっきとした家庭がある。子がいる。将来、足腰が立たなくなったら、娘が面倒見てくれるんじゃないか?
 昔、テレビで女優の加賀まりこさんが、お金持ちは一度は貧乏に憧れると言っていた。まじか。この平山、ひょっとして元々富裕層なのに、自由が欲しくて貧乏を選んだのか!?
 早朝、出勤前に寸暇を惜しんで、髭を手入れするシーンなどから、彼が洗練された人物なのは、どことなく伝わってきていたが……。 これ以上、彼の背景について推理するのはやめよう。もし彼が本当はお金持ちならば、このストーリーは、僕が予想していたものとまるで違うものになる。

胸に込み上げるもの


 ハイライトはなんと言ってもラストシーンだろう。どんな名作でも最終章が必ず瞼に焼き付くものではない。僕は、往年のハリウッド映画「シェーン」の最後をよく覚えているが、なんとなくインパクトに欠け、記憶に残らないものもたくさんあるのではないか。
 だが、「PERFECT DAYS」の、おっさんの泣き笑いは決して忘れることができない。
 出勤途中、平山はライトバンを運転しながら、朝日を浴びる。美しい陽光に包まれ生命の脈動を感じた平山は嬉しくなり、思わず微笑む。でも、目からは涙が滴り落ちそうだ。自分に残された時間が、これまでに費やしたよりはるかに短いと彼は悟っている。若き日の熱情が決して蘇らないことも分かっている。
 二つの思いが同時にこみ上げ、泣きながら笑ってしまうのだ。名優・役所広司だからこの演技ができるのではない。60代半ばの、独身男なら誰もがこういう表情になることがある。歳をとらないとわからない心境なのだ。
 この作品は現代社会において、ある年齢に達した者だけが感じる寂しさを確実に描いているのではないか。孤独を胸の奥に秘めながら、不平不満を漏らさず一日一日を刻む平山の姿に、叱咤激励されている気がした。

 蛇足だが、もし姪っ子が平山の娘なら、もちろん泣きそうな笑顔の意味はまるで違うものになるだろう。離れて暮らす家族を想い目が潤んだのかもしれない。



いいなと思ったら応援しよう!