ふらっと車で福島その3 四倉〜南相馬。
さて道の駅四倉から震災以降休館中となっている道の駅「ならは」に向けて北上。四倉から20分ちょっと走ったら到着。
ご飯が食べられるのはもちろん、温泉施設にも入れるというので有名だった道の駅「ならは」。
震災以降は閉鎖されて双葉警察署仮庁舎になっているので、館内や周辺案内板には白いシートでマスキング。その隣には空間放射線量を表示する機械も。都内じゃ感じなくなってた震災が未だ現在進行形であることを突きつけられる瞬間。
近くのJヴィレッジは長らく福島第一原発の対応拠点〜復興工事拠点として稼働されてたけど、今年の7月から営業再開されるとのこと。「ならは」の温泉棟は今月(5月)に再開予定って記事も出てたけどその後どうなったかな。
ともあれ、ここはトイレしかない状態なのでこのあたりで切り上げて再び6号線を北上。
国道6号線って東京の日本橋から仙台までずーっと続いているんだよね。
普段なかなかそこまで道が続いてることは実感出来ないけど、こうやって自分で走ると再確認できるから車で走るのも悪くない。腰痛いけど(汗)
楢葉を出てほどなく富岡〜浪江町へと走ると今もなお続く”帰還困難区域”の看板が幾つも置かれていて、不審者が入れないように路地には柵が立てられている。
人の生活がない街は生気がなく、震災直後で時が止まってしまったままの家や建築物。それと6号線の信号がほとんど無い。帰還困難区域に指定されていて街中へ入ることもできないし、車が出てくることもないからなんだけど凄く不思議な感覚に陥る。
数年前富岡高校の方々に接する機会があったけど、それだけじゃ当然ながら全然わかるわけもない…。そこにあったのはとんでもないマイナスをまずどうにかゼロに戻そうとする現在進行形の姿。何せ信号がなくほとんど止まらないから工事中の人とかを撮ることは出来ずじまい(´・ω・)
震災後一切人の手が入っていなさそうな廃墟と化したボウリング場を過ぎて10分ほど、この旅の目的でもある双葉食堂さんに到着。
(https://tabelog.com/fukushima/A0704/A070403/7005353/)
震災後、元々営業していた店舗が原発事故の警戒区域となって新潟県三条市へ避難。避難先でもラーメンを作られて、南相馬市鹿島区の仮設商店街での営業を経て南相馬市小高区に戻り再出店されたお店。人気店だけあって、外で待つ人もどんどん増えていく。肉うどんもあったけど、やっぱりここはラーメンを🍜
昔ながらのシンプルな醤油ラーメンなんだけど、油は少し多め。
その影響で半端無い熱さ(汗) まじであっつあつ。いろんな光景を見てちょっと考えさせられてたマインドを全部吹っ飛ばしてくれるくらい熱いw
家族連れ、小さい子供に学生、じいちゃんばあちゃん色々なお客さんが入れ替わり立ち替わり入っていて、地元に愛されている感じが伝わるあったかいお店でした( ๑ ╹ ◡ ╹ ๑ )
双葉食堂のあとは腰痛も踏まえて今回の最終目的地、道の駅「南相馬」へ。
大きな公園がくっついててのどかな空間。
子供達が自由に遊んでいて、その楽しげな声のおかげでなんだか妙にほっとしたところで福島自走の旅はおしまい。
帰りはどこで寝るかも決めずに適当に走って宇都宮で餃子食べたりしたけど、それはまたの機会にm(_ _)m
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