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いつだって頭の中には

中学卒業後の春休み。初めて携帯を買ってもらった。
我が家のルールで、携帯を持つのは高校生からと決まっていた。

当時はもちろんガラケーで、折りたたみの接続部分、つなぎ目の側面が丸くなっていて、そこを押すと、パカっと開くタイプの携帯だった。パステルピンクの色が気に入って、買ってもらったように思う。

初めて持った、自分の携帯電話。友達と、他愛のないメールを送り合ったり、大好きなアイドルの写真を保存したり、そんなことが嬉しくて、幸せだった。それに加え、ガラケーで楽しんでいたコンテンツが、着うた・着メロだった。

私は中学生の時から、よくaikoの曲を聴いていた。大好きだった。歌詞ノートを作り、「好きだなぁ」と思ったaikoの曲の歌詞を、そのノートにまとめていた。

当時は、YouTubeに公式MVが公開されるような時代でもなかったので、TSUTAYAや図書館で、片っ端からaikoのアルバムを借りて、MDにダビングしていった(ちなみに、『暁のラブレター』は、私が初めて買ったアルバムだったと思う)。

大体の曲を聴くことができたが、ここで困ったのが、シングルのカップリング曲を手に入れる手段がなかったことだ。TSUTAYAに行くと、アルバムは全部揃っていたが、シングルCDはほとんどなく、最新のシングルしか取り揃えられていない状態だった(地元が田舎だったので、品ぞろえがあんまりだった可能性はある)。

ネットの歌詞サイトを見ながら、色んな曲のタイトルをクリックして、歌詞を眺めた。好きだなぁと思った、『アイツを振り向かせる方法』や『二時頃』、『親指の使い方』など、歌詞ノートには書き写していたが、実際にどんなメロディなのかは、分からないままだった。

中2の冬だっただろうか。誕生日プレゼントに、SONYのウォークマンを買ってもらった。そこで、音楽配信サイトから、曲が買えるということを知った。“月に1曲”と、母と約束をして、レンタルにはない、聞くことができない曲を、買ってもらえるようになった。

しかし、そのときはBerryz工房をきっかけに、再びハロプロの沼に浸かっていたタイミングであったため、月に1回の権利を、Berryz工房のカップリング曲に使っていた。おかげで、Berryz工房結成初期のカップリング曲は、今でも大好きである(お気に入りは『パッションE-CHA E-CHA』)。

aikoのカップリング曲はというと、母にお願いをして、ヤフオクでaikoのシングルCDが3枚セットで売られているものを買ってもらったり(『カブトムシ』『ボーイフレンド』『かばん』)、新曲が発売されたら自分のお小遣いで買ったり(初めて買ったシングルCDは、『キラキラ』)、少しずつ、少しずつ、カップリングコレクションを増やしていった。それでも到底、追いつくことはなかったが。

私は高校生になり、初めて自分の携帯電話を手に入れた。着うた・着メロをダウンロードするのにもお金が必要なので、母から制限はされていたと思うが、毎月「どの曲にしようかな~!」と、考えて選んでいく作業は、とても胸が躍る、楽しいイベントだった。

私が初めて携帯にダウンロードをした曲は、aikoの『どろぼう』だった。aikoの13枚目のシングル、『アンドロメダ』のカップリング曲である。私は、曲を聞いたことが一度もないのに、この歌が大好きだった。初めて『どろぼう』の歌詞を見たとき、「まるで私、そのままじゃないか!!」と、強く共感したからである。


中学生のとき、一目ぼれしたひとつ上の先輩に、ずっと片想いをしていた。


ただあなたの後ろ姿を ただ見てるのが好きでした
こっそりすれ違ったらいつも 目をそらすけど願っていました


本当に、このまんまだった。話しかける勇気もなく、ただ偶然に、廊下ですれ違うことを期待していた。姿を見たら飛び上がるほど嬉しいのに、先輩が私の視線に気づかないように、すっと目をそらしていた。


草の匂い潤す空き地で 一番乗りのベンチに座って
靴紐結ぶふりしていつも あなたが来るのを待っていました


偶然を期待していたが、偶然を照らし合わせていくと、法則性も見えてくる。「この時間は理科なのか」「次の授業は体育なんだ」と、授業が始まるギリギリの時間まで、先輩をこの目に映そうと、廊下で粘っていたのは良い思い出である。


不思議なものですね あたしは欲が出てきたみたい


あるきっかけで、ただ見ているだけの存在だった先輩と、メール交換ができるようになった。中学生だった私は携帯を持っていないので、家のパソコンを使って、先輩とやり取りをしていた。たった一言の返信であっても、受信ボックスに先輩の名前を見つけるだけで、舞い上がった。本当にどきどきした。


言えないやっぱり言いたい計り知れず好きですと


言えなかった。直接好きだとは言えなかった。メールがしたいと伝えた時点で、私が先輩に好意を持っていることは確かなのに、私は好きであることを悟られまいと、「好きな人はいますか?」、「彼女はいますか?」、「好きな女の子のタイプはどういう人ですか?」、といった類の質問を、全くしなかった。


先輩は、3月に卒業していった。
卒業式の日、友達に背中を押されて(本当にグイグイと押されて、気付いたら先輩が目の前にいた)、絞り出すような声で、「ボタンをください」と伝えた。そのとき、すでに先輩の学ランには第二ボタンしか残っておらず、「ごめんね」と、断られた。卒業式の日に、先輩がそこそこモテる人であったこと、先輩に彼女がいたことを知った。

先輩より1年遅く、私も中学校を卒業した。携帯を手に入れたということは、先輩に「メールアドレスが変わりました」と、メールを送ることができるのだ。先輩が中学校を卒業してから、一度もメールのやり取りを交わすことはなかった。そうそう返事なんてくるはずもない、事務連絡のメールだが、携帯を持つ私の手は震え、ひどく緊張していた。

先輩の彼女になりたい、とは、思っていなかった。ただ、先輩の頭の中、隅っこのすみっこの方でいいから、私の存在を生かしておいてほしい、と、おこがましい考えを抱いていた、のだと思う。先輩と繋がれる手段を、切りたくはなかった。メールは、エラーになって戻ってくることはなかった。


初めての着うたで、初めて『どろぼう』を聞いた。もちろんフルサイズではなく、サビだけだったが、「これがどろぼうかぁ。好きだな」と思った。

私は初めて買った携帯を、約3年半使った。その間、電話の着信音は変わらず、『どろぼう』だった。同じキャリア同士でないと通話をするにはお金がかかったため、友達と電話する機会はほとんどなかった。母親をはじめとした家族や親戚など、電話がかかってくる相手や頻度なんて、たかが知れていた。

それでも、相手が誰であろうと、着信音が鳴って『どろぼう』を聴くたびに、私は潜在的に、先輩のことを思い出していたのではないかと思う。

高校に進学しても、特に新しく、誰かを好きになることはなかった。先輩に固執していたわけではないけれど、先輩のアドレスが登録された、先輩を象徴とする『どろぼう』が鳴る携帯に、私はずっと、期待をしていたのかもしれない。「もしかしたら、先輩からメールが届くかもしれない」「もしかしたら、先輩から電話がかかってくるかもしれない」、という、ほとんどゼロに近い期待である。

“どろぼう”に、気持ちを奪われたまま、私は高校生活を過ごしていたのかもしれない。

もちろん、高校生活は楽しんだ。たくさんではないけれど、大切な友達にも出逢えたし、趣味にも勤しんだ。それでも、心のどこかに、先輩がいたのは事実かもしれない。

実際に、携帯を変えてから、恋愛に対する世界が、ほんのちょっぴり、感覚的に、広がった気はする。今振り返ってみると、納得がいく部分は、ある。


『どろぼう』を聴くと、中学時代に、先輩に焦がれた日々を思い出す。
懐かしく、切ないけれど、今は良い想い出である。


先輩、元気にしてるかなぁ。


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