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旅行が逃避たる訳

 旅行は、もっとも簡単で効果的な現実逃避である。もちろん全ての旅行がそうであるわけではない。

旅行とは

 本文中の旅行について簡単に注釈をつける。とはいえ、本質的にはどのような旅行でも逃避になりうるのであまり気にしすぎる必要はない。
 ただ、ひとりであること、厳密に旅程が決まっていないこと、遠方への旅行であること、1泊や2泊などあまり短期ではないこと、などを満たすとより逃避度合いが増すように思われる。そのあたりは、この文章を読んで良い感じに判断してもらいたい。
 ただ、逃げたいという思いさえあれば、上記に当てはまらなくても逃避になると思う。上記に当てはまればある程度自動的に逃避になると思う。

物理的距離

 あなたが逃げたい現実があるとしよう。それはあなたが存在していた場所に強く関係しているはずだ。職場・学校・自宅・居住地域・祖国、なんでもいい。ひとたび距離を置けば、それだけでどれほど肩の荷が軽くなるかわかるはずだ。仮にあなたがトルコにいるとしよう。何処の誰があなたを現実に連れ戻すためだけにトルコまで来るだろうか。あなたは圧倒的に孤独であり、安全である。
 今の時代はLINEやらSNSでなんとでも連絡が取れてしまう? スマホの電源を切ればいい。あるいはモバイル通信を切れば良い。というか、eSIMやらSIMカードをいれなければいい。なんとかなるし、連絡を受信しようがないから不可抗力である。

俯瞰

 さて、あなたは華麗に現実から距離を置くことに成功した。物理的距離は心の距離。あれほどあなたの心身を脅かしていた現実は遥か彼方である。そうすると、不思議と心の平穏が戻ってくるだろう。あるいは後述の理由でそれどころではないかもしれない。
 いずれにせよ、見ないことにするのも、冷静に現実について考えるのも思いのままである。特に、日常ではあんなに身を切るように切羽詰まっていた現実も、距離をとってしまえば不思議と俯瞰できることに気づく。もしかしたら意外と大したことないかもしれない。あるいは、実は思い出すどころではなかったけど昔からの友人に相談してみようなどと思うかもしれない。

暇であり多忙

 安心してほしい。旅は暇であり多忙である。電車やフライトの待ち時間やら、移動時間やら、なんやかんやで暇な時間が多発する。ひとりなら特に顕著である。
 ところが、その暇さは移動している間であったり、次行く場所のわからぬ不安のなかであったり、あるいは旅先の高揚であったり、そういったものに差し挟まれて発生する。基本的には移動していたり、何かを待っていたりしているわけで忙しいのである。
 多忙であるはずなのに何もやることがないという捩れが発生する。とくに座る場所がなかったり、机がなかったり、電波がなかったりして、本当にどうしようもない時間も多い。つまり、自分について考える時間はたっぷりある。何も考えずとも不思議と考えは巡っているものである。

限界と極限

 旅先では基本的にあなたは限界状態に置かれる。言語がわからない、道がわからない、明日何処にいるのかわからない、今晩寝る場所が決まっていない、帰りの飛行機がない、お昼ご飯がない、現金が底をついた、など数々の懸念事項が発生するだろう。
 それは、大袈裟にいうと死と隣り合わせということである。僕は、道端にいるホームレスの方を見て、冗談抜きで明日は我が身などと思う。いかな現実が日常で待ってようが、それは無事に帰ってからのことである。割と本当に、それよりまずは今晩のご飯だ、という気持ちになる。
 事前にきちんと準備をしていればその事態は避けれるではないかと、思うかもしれない。それをしないのが逃避旅行のキモである。

 また、体当たりで旅行をするなら、あなたは同時に極限状態に置かれるだろう。訳のわからないドミトリーで隣の客のいびきがうるさすぎて眠れなかったり、夜行バスに乗ってそのまま1日中歩き回って疲労困憊になったりするだろう。その極限状態はある程度まではいい意味であなたの判断能力を奪ってくれる。
 もちろん一定以上に判断能力を失うと身の危険につながるので、とにかく極限状態で旅行すれば良いというわけではない。断じて。ただ、肉体と精神に日常生活ではありえない負荷を科すと、これまでしんどかったことが、それでも身の危険や衣食住への影響をもたらさないものだと気づき、意外と大したことないと思えるかもしれない。もしかしたら何かあっても最悪こうやって彷徨って生きていけると思えるかもしれない。(もちろん現実的には色んな意味で不可能に近いが)その感覚は勇気をくれるだろう。

自己回帰

 身ひとつで異郷の地に放り出されたあなたの思考は停滞し、循環し、不要にぐるぐるして、自分のことについて冷静に見返すようになっているかもしれない。ある程度を超えると自分のことくらいしか考えることがなくなるのである。

ホームシック

 あなたはある日突然日本に帰りたくなるかもしれない。それはそれでよい。そう思えたときにはきっとあなたを脅かしている何かと、どうにかして向かい合うことができるようになっているかもしれない。いずれにせよ、もう前ほど怖くないだろう。それに、何かればまた旅に出ればいい。
 あるいは、一向に帰りたいと思えないかもしれない。それはきっと、まだその現実に向き合う準備ができていないか、それともその場所があなたにとっているべき場所ではないか。そうなったらもう海外でワーキングホリデーでも始めてしまえばいい(かもしれない)(現実的な話はしていない)。

リセット
 では旅行がなぜ逃避たるのか。これまでの観点をまとめると、それは「自分のこれまでの環境をリセットする手っ取り早い方法が旅行だから」ということになるように思う。
 旅に出た瞬間から人は須く孤独である。SNSで何百人フォロワーが居ようと、彼らはあなたが異郷の地で彷徨っていても何もしてくれない。それは現実があなたを追いかけてこないのと同じである。旅に出ている間、あなたの本来のテリトリーからでている間はほとんど全てがフラットなのである。
 これまでの人間関係も、あなたの仕事の進捗も、バイト間のわだかまりも、恋人との不仲も、進まない研究も、親友も悪友も家族も全て置き去りである。そこでむき出しの1人で、孤独を感じたり人の暖かさに触れたりよくわからない人に出会ったりする。
 これまでに培ったほとんどのことを括弧に括ること、それは日常においては大変難しいが、テリトリーを飛び出すだけで驚くほど簡単になる。というか、必然的にそうなってしまう。一度全部投げ出して自分を丸裸にすること。それですごい当たり前のことに気づいたり、あるいは思っても見なかった自分の一面が見つかったりする、のだろう。

いかなる旅行が逃避たるか

 とりあえず、あなたのいるそこから出てしまうこと。深く考えないこと。とりあえず、という切羽詰まり具合、あるいはその適当さと、それでも出たという事実と距離が、最高の逃避の始まりになる。

最後に

 いろんな例外や、個人の事情やら、そういうものを無視して決めつけるような文章になった自覚がある。もし、不快になる人がいたらこの場を借りてお詫びします。


※それはそれとして、あまりに旅行の仕方が十人十色なので、整理のためにも自分の旅行メソッドを何処かで文章にしよようと思う。

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