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思考供養

 今日は全くnoteなんて書いている暇ではないし、これから読まねばならない英文教科書が25ページくらいあるうえに明日はディスカッション×3なので、こうやって逃避していたらnoteが3万字くらいになりかねない。

 今日は8時半に起きて、9時に教室にいて、哲学をひとつ、そのあとはやることやって、本屋に行き(それが課題)、飯を買って食い(スーパー)、授業の準備をして、哲学をひとつ、そのあとにセミナーをひとつ、帰ってきてホステルの人にパスタをお裾分けしておしゃべりして、noteを今書いて、明日の予習と準備をして寝ます。終わり。でもそれだけじゃ味気ないので、ここ数日のnoteで供養できていないスマホのメモを供養しようと思います。

①「アレルギーへのセンシティブさ」

 ロンドンで外食したとき、注文の際にパイを食べれるかどうか聞こうと思って、アレルギーがあるけどこれ食べられるか?と聞いた。すると、おばちゃんがすごいオーバーに反応して、こっちがここまで火が通ってたら大丈夫って言ってもなんなら聞く耳を持たず、強く全くアレルギーのものがメニューを勧めてきた。また、オーダーをした後も、やっぱりこっちがいいのではないか、何かあったときに怖いから、といって提案してきたりとすごく気を利かせてくれた。これは善意もあるだろうし、何かあった時の責任問題が怖いという側面もあるだろう。突き詰めて考えればアレルギーの問題とは複雑だし、何かあったときにすべて店の責任になりかねないのだ。でも、あまりかっちりしすぎると「このくらいなら大丈夫」といって、自分のさじ加減で柔軟に対応したり、「このくらいなら大丈夫やろ、食ってまい食ってまい」みたいな、お前それこのご時世飲食店として全然アウトやでみたいな会話も生まれなくてさみしかったりする。とはいってもイギリスのサンプル2(別の店でも注文の前にアレルギーを聞かれた)だけど。ちなみに注文のおばちゃんは、あとから感想を聞いてくれたり、ちょっとしたジョークを飛ばしてくれたり、こっちでは珍しくはないけどとても良い人でした。

②「極論好き」


 僕は割と極論は嫌いではない。自己批判によく使う。極論好きというよりは、想定反論と自己批判に使っているという感じ。

③「割とどこでも生きていける人間になりたい」


 海外に行くモチベのひとつにこれがある。ちなみに「割と」というのは極論による反論を避けるため。はいはいじゃあアマゾンの奥地でナイフ一本でサバイブしてきてね、とか、殺人率世界一位の場所で日本人として生活できる? とか言われたらごめんなさいってなっちゃうからね。日本以外にも生きていける場所はそれなりにあるよという実感を得たかった。さもないと明日が見えにくい世の中で、「日本を出たら生きていけない」という強迫観念が取りうる選択肢を狭める気がしたから。あと、海外に行きたくなったときに自分の選択肢にひとつの自信を持つため。厳密に定義すると「苦学生程度にお金がない/節約している状態で、世界のある程度の都市部で、ちゃんと生命活動を営めることを確かめて日本以外でも生きていけるといういざというときの自信をつける」という感じ。今のところ、ロンドン・パリ・カンボジア・ベトナム・タイ・韓国で店に入ろうが屋台飯を食おうが、日本にいるとき以上にお腹壊してないし、(日本と連絡が取れているので)ホームシックにもなっていないし、ちゃんと寝れているし、ぼちぼち。

④「英語コンテンツの消費」


 大学でも、日常生活でも、当たり前だがとにかく全部英語である。ただそれに異常なほど違和感がない。日本で留学生の友達と喋っているときも、英語の授業を取っているときもこんな環境だったからかもしれない。ホステルや大学の日本人と喋っているから全く日本語に触れていないわけでもないしね。そう考えると日本にいた身にしては相当英語に触れる環境にいたんだなと思う。イギリスに来て初めて日本でも英語に囲まれうるということを実感した。
 で、英語のコンテンツの消費とは、そういう環境もさることながら、僕が授業や海外の友人以外にも日々英語に触れていたから違和感がそこまでないのかもしれないと思ったのだ。といっても、スマホの設定言語を英語にするとか、ReelやYouTubeで英語の動画を見る(日本字幕付きも大いに含む)である。それひとつひとつは大したことがない。大したことがあったら字幕映画派の人は英語リスニングばっちりだし、設定言語を英語にしただけで英語力爆上がりのはずだし、実際まっったくそんなことはないと思う。でも、基礎があったり、ある程度そういうものから英語を摂取できる能力をつけたうえで(この順番大事!)、それにダラダラとでも接するとそういう英語コンテンツは、英語力をあげてくれることはほぼないが、自分を英語になじませてくれる程度の効果はあると思う。

⑤「おばあちゃんがダラダラしているうちは大丈夫」


 夜の公園に近づいてはいけないというのは、強盗カツアゲ暴行に合わないうえで明らかに守ったほうが良いのだが、夕暮れ時にショートカットするために公園に入りたかった時があった。一歩踏み入れて、今は大丈夫なのか一瞬のあいだ逡巡したが、かなり高齢のおばあちゃん2人がベンチでのんびり井戸端会議をしていて、おばあちゃんがダラダラしているうちは大丈夫、だろう。

⑥「ベトナムに比べたら大したことないね横断歩道」


 こちらの人は全然信号を守らない。と思ったらめちゃみんな守っているタイミングもあったりして謎。なのだが、青信号の時は車が左折してくることもなく、全く無警戒に横断できる。また、信号のないところを横断するときも、こっちが待つ姿勢を見せても車が譲ってくれることもしばしばである。日本より車の運転は多少荒いとはいえ、全く速度を緩めないバイクの間を文字通り縫いながら横断する必要があったベトナムに比べたら全然大したことないね横断歩道。ベトナムは車道を渡るときは軽く命賭けてたからね。1回死にかけたし。

⑦「1秒も持ちたくない」


 信号を守らない人たちをみて、もともと歩くのが早くせっかちがちな僕はもう1秒も待ちたくない体に仕上がってしまったので、車の交通量がでたらめに多くて全くわたる隙がない時にはもどかしくてたまらない体になってしまった。
 ちなみに、信号を渡るライフハックとして、最低自分以外のひとりとタイミングを合わせて渡るということがある。それは自分以外の人間も安全だと判断した証でもあるし、渡っている人間が多いほど車も止まりやすい。文字通り、「赤信号みんなで渡れば怖くない」のである。

以上、なんとなくnoteに書けてなかったけど、忘れてたり文脈がなかったりしたことたちでした。普通に日記書いたほうが時短だったまである。

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