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『シン・エヴァンゲリオン劇場版』に見る正しいセカイ系の殺し方

 以前、僕はTwitterでこう言った。

 この言い回し、エヴァンゲリオンというものが呪いだと取られていたが、僕が言いたいのはそこじゃない。これはテレビ放映版からリアルタイムでエヴァというものに晒されていた人間が誰しも抱え込んだ諸々の情動を呪いだと言ったつもりだった。だが、新劇場版からエヴァに触れてきた人には余りピンとこない概念かもしれない。
 『セカイ系』という言葉が生まれたのはいつだろう。Wikipediaの記事を参考にすれば、2002年頃というのでエヴァ放映後に名前がつけられた概念だろうとは思う。

 しかし、思えばこの言葉が出来る前から、そういうものは割とあったと思う。最初に思いつくのは『ブギーポップは笑わない』だろうか。初出が1998年なので、『セカイ系』という言葉よりも前から存在している事になる。そもそも『セカイ系』の定義は上記のWikipediaの記事にあるように、結構ふんわりとしたものだ。明確に言えるのは物語の構造が「きみとぼくの関係性」と「世界の存続」に直結しているものぐらいだろうか。一人語りの多さや大仰な物言いなんかは副次的なものだ。じゃあ、何故わざわざ名前がつけられたのだろうか。そう考えると、やはり原因はエヴァなんだと思う。一人の少年が選ばれてロボットに乗り(エヴァはロボットじゃないと言う話は取り敢えず横に置いておいて欲しい。そんなのは百も承知だ。だが、ここでいうロボットというのは『スーパーロボット大戦』に参入してもあんまり皆文句を言わないやつの意味くらいでしかない。現にエヴァはスパロボに出ている。皆、シンジくんに優しくしてくれるので、一生あの時空で過ごした方がいいとさえ思える)なんだか分からない敵と戦うという文脈はよく見るプロットである。陳腐でさえある。だが、ヒーローであるシンジくんには一切のヒーローらしさはない。ずっと悩んでいるし、ずっと苦しんでる。たまに調子に乗り、また凹む。それを繰り返す大凡今までのヒーロー像にはない、ただの内気な少年だった。エヴァの中で悩むし、取り巻く環境で悩む。そして、その苦悩は、そのまま世界そのものへと接続されていく。この物語構造は、当時斬新だった。いかんせん、それまでは宮崎駿が毛嫌いした「セーラー服を着た美少女が機関銃を持って戦っている」物が多かった。丁度第三次声優ブームとも重なる頃だったと思う。声優雑誌も増えた。色んなアイドル声優がいたし、そのためには、やはり美少女がいないといけなかったのかもしれない。正直記憶だけで書いているので細かい時系列はズレるかもしれない。ただ感覚的には、そんなだった筈だ。『スタンバイSAY-YOU』もこのぐらいの時期に始まったような気がしてる。そんな中、エヴァは一つ革新的であり、そしてそれを食らってしまったオタクは、エヴァという呪いを抱え込んでしまったのだと思う。ポストエヴァンゲリオン世代と揶揄されることもある。エヴァ、ブギーポップときて、皆そういう話を書こうと思った。エヴァを咀嚼し続けたのだ。そして咀嚼するにはエヴァの歯ごたえは異常だった。サービスエリアのホルモンうどんに入ってる白モツだってもうちょっと飲み込みやすいのに。牛みたいに皆エヴァを何回も何回も反芻した。その結果として出来たのがエヴァSSという文化だったような気もする。エヴァの二次創作小説界隈というのは、今思っても妙な熱量を持っていたと思う。何度も何度も噛んだエヴァを必死に吐き出そうともがいているとも言える。そもそもエヴァ自身が考察し続けなければならない程に、はっきり言えばよく分からないアニメだった。あの頃、出版されたエヴァ考察本の量がそれを物語っている。本当に訳の分からないアニメだった。今見返せば、なんとはなしに理解出来る部分もあるし、当時ほど混乱はしないが、初めて見たときは本当に訳が分からなかった。そして、それは僕だけではなく、世間の皆がそうだったのだと思う。エヴァ二次創作小説はその中で「じぶんのなかにあるエヴァンゲリオン」というものをなんとか形にしようと躍起になっていたようにも思える。そうして、皆の中で反芻し、なぞり続けた結果、皆呪いのかかっていった。後に出る『セカイ系』のもの全てにエヴァの痕跡を追ってしまっているのだ。
 そして、旧劇場版と呼ばれる、『劇場版エヴァンゲリオン シト新生』が放映されたのだ。あのときの荒れっぷりは凄かった。テレビ放映版では分からなかった回答が出ると思ったら、総集編と完全に尻切れトンボの終わり方。『マリアさまがみてる』のレイニーブルーだってもうちょっと手心があったというのに。荒れた。その荒れっぷりがどうだったかは次の『劇場版エヴァンゲリオン Air/まごころを、君に』で分かると思う。劇中に出てくる庵野秀明への大量の抗議文、あれが本当にあらゆるところにあったのだ。そして、それを見て、少なくとも僕は「もう庵野秀明は、エヴァを殺したいのだろう」とぼんやり思った気がする。庵野秀明は匿名掲示板であれこれ言われているのに対して「現実を見ろよ。いつまでもアニメにこだわってんじゃないよ」というような事を言ったとされている。真っ赤に染まった海に綾波レイというオタクにとってもファムファタルの屍骸を転がして、同じくオナペットと化したアスカに気持ち悪いと言わせる。あれは宮村優子のアドリブだが、実にぴったりくる台詞だと思う。アスカのことを潜在的に理解していたから言えたのだと僕は思っている。本人はそんな事、何にも考えてないかもしれないが。

 でも、エヴァは新しく作られた。
 まぁ色んなメディアミックスされたゲームとか、脱衣麻雀とかあるけど、そこは見なかったことにしておきたい。
 新劇場版の序を見て「これはZガンダムの劇場版みたいにリマスターしたいのかな?」と単純に思っていた。破を見て「これは時代を経過して、庵野自身がもう一度再構築し、きちんと終わらせたいのかな」とも感じていた。そして、Qで「庵野……どうした?」になったのは確かだ。本人の鬱病とか、諸々の事情とかもあるのだろうが、少なくともQで庵野としては終わりだったんじゃないかと思わなくはない。もちろん、続くの表示はあったけれど。きちんと終わらせたい。だが、何が終わりなんだろうか。エヴァンゲリオンの終わりとはなんなのだろうか。そんなことを、僕自身は考える。これがエヴァという呪いだ。25年。当時中学生だった僕がずっと抱え込んできたものだとも言える。

 ここから先は、ネタバレを含むので、まだ見てない人は読まない方がいいかもしれない。

 そして、シン・エヴァンゲリオン劇場版である。
 この映画のオチに関しては、ある程度そうだろうなという部分はあった。碇ゲンドウが愛する妻でありシンジの母親であるユイにもう一度会うために、もう一度一緒にいるために、世界そのものを書き換えていく。そのための何もかもであった、そういう話だ。人付き合いが苦手で、孤独でいることの方が苦痛が少ない、一人の男。彼はユイにあって初めて、人を愛することを見つめ直す。だが、エヴァの実験で彼女は目の前からいなくなる。だから、世界をやり直そうとする。予測できた話だ。だが、それ故に、この文脈はとても重い。なぜなら、ゲンドウの行動そのものが「きみとぼくの関係」と「世界の存続」を連結させているからだ。ゼロ年代であれば、ポストエヴァと言われ、何度も擦られた文脈。そのただ中にゲンドウがいる。あの頃の、セカイ系の主人公そのものとして存在している。でも、ゲンドウは、48歳。14歳の息子がいる、一人の中年のおっさんである。セカイ系の主人公は25年の歳月の中で、もう大人になってしまっているのに。僕らも、当時中学生だった僕も、もう38歳だ。いい大人だ。でも、ゲンドウは一人電車の中でずっと自らの孤独を、自らの寂しさを語り、セカイの話をする。中学生の僕なら共感したであろう話を、中年のおっさんが中年のおっさんの一人語りを聞いて、ただ呆然としている。ゲンドウは、エヴァの呪いにとらわれたまま25年を過ごした僕ら自身なんだ。まだエヴァの話をしている、オタクそのものだとも言える。あの丸まった背中は、あまりにもみっともない。ATフィールドは他者への拒絶。いい大人が使う物じゃない。でも、ゲンドウは悲しいことに、それをまだ持っている。そして、それに14歳の息子が歩み寄って、ただ受け入れる。まるで「大人になれよ」と言われているような気分だった。そして、セカイは再構築される。シンジくんは大人になって、駅の階段を駆け上がる。カメラは引いていき、映し出されるのは、アニメじゃない、現実の駅と町並みだ。現実に生きろ。そう言っているのではという話もあるが、僕としては、あのシーンを見たときに「ああ、今この瞬間に、セカイ系は一つの死を迎えたんだ」と思っていた。爽やかな死だ。春の匂いさえ感じる。桜の一つも咲いていたら尚良い。梅の香りさえ聞こえてきそうだ。

 エヴァは死んだのだ。
 僕はそう思う。
 もう「きみとぼくの関係」を世界に接続させている場合じゃないんだ。
 エヴァは死んだよ。
 抱え込んだ呪いをどうするかは、その人次第だろう。まだ抱え込んだままの人もいるだろう。僕の頭によぎっているの『少女革命ウテナ』の最終回、学園に別れを告げる姫宮アンシーの後ろ姿である。
 エヴァは死んだよ。
 僕はもう、現実に戻るよ。

追記

 僕が見終わった後、ぼんやりと聴いていた曲をここに書いておこう。海援隊の『少年期』である。ドラえもんの挿入歌になったアレだ。僕らはいつから大人になるんだろう。僕らはどうして大人になるんだろう。そんな思いをぼんやりと抱えながら家路につく。明日も仕事だ。頑張ろう。

https://sp.uta-net.com/song/58634/

#シン・エヴァンゲリオン劇場版 #映画感想 #ネタバレ

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