親愛なる奥さんへ
なかなかお互い、この道がマイロードなんじゃないかっていうのが定まらずに苦悩する生活だと思います。
気持ちほんと分かるよ、おれも今もそうだし過去もそうだったし、ただ苦悩してもがいてもあんまりパッとしない。解決策かどうかも分からないことを日々実行して「いやー、違うかこれ・・・」なんてまた苦悩にさいなまれながら暮らしてる部分はあるよね。
こういう状況を、端的にはなかなか言い表すのは難しいし熟慮が必要なものだけど、やっぱり「シンプルに解体して」考えていくことは必須なんだと思ってる。悩みって、いくつもの課題が同時に絡まって複雑「そう」にクチャってなってるからほどけにくくなって、結局ほどくの自体を諦めて「ハァ」ってなることを人は繰り返しがちなのかもしれない。
そして「内省や振り返りが疲れるししんどい」という側面も大いにあると思ってる。内省とか振り返りって、「現状がなかなか軌道の道筋に沿うか見えてこない事に対して反省しなきゃいけない」っていう自己のマイナスと向き合う作業になるから「オエッ」って思うような作業だよね。
けどもね、これらも結果からいうと最後には 解決できないはずはない し、
絶対解決できる糸口と実行力を備えてる わけなんです。
どうしてそう言えるのかっていうと、
私がそれをあなたに対して信じているからなのです。
あなたを信じている俺をあなたが信じてなければちょっと厳しくなってくるけど(笑)、もしあなたがあなた自身の事を信じられなくなるタイミングがたまにあるとしても、それでもあなたが元来備える「良さ」「強み」「人格」「精神的な武器」、これらは絶対に消えない。
だれも奪えない物なんですよ。たとえば目に見える物とかは、100%誰にも奪われないことは不可能じゃないですか。例えそれが物理的にでっかいもの、車・家電とか、なんなら家とか土地ですらですよ。本格的な泥棒が来れば家の中にカーテンレールしか残らないだろうし、家とか土地ですら大戦争起こされれば権利どころか形ごとサラバすることだって史実あるわけです。
でもでも(奥さんの口癖)人の中にある心とか経験、そこから得た知見だったり思い出は奪う方法がないですよね。たぶんだけど、もしぶっ殺されたとしても魂が身体から抜けるだけで一緒に持っていける可能性あります。知らんけど
「うまく生きられていない・・・アァァァ」っていう感覚ってもう少し具体的に言語化するとどういうことかっていうと、
『わたしの良さも強みも人格も精神的な武器も活かして生きれてない!タコが!!』
ってところに行きつくんじゃないでしょうか。
良さが発揮できてて、強みが活きてて、己の在る人格で違和感がなくて、「ここはわたしの領域よ!」って思える精神的に強気でいける分野で無双できてたら、
そう思う余地が生まれないと思うんです。
根源的すぎるというか抽象的すぎる言い回しですけど、この世に命を受けた個体(特にヒト)は、神様視点からしたら「先天的に与えた才能+人生を過ごして得た知見をフルに活用して死んで来いよ」ってノリで放り出されてきてるんじゃないでしょうか。
僕らが高尾さんに登山しに行ったときに、なんかすごい尊い高校生が居たよね。お金を洗える手水舎にて ヘヘッ、ここでお金洗えば増やせるらしいぜ!みたいな感じでお札と小銭洗ってたら近くにいた高校生2人のうちの先輩らしき子が
「閻魔大王が死後の人を天国に送るか地獄行にするかはどうやって決めるか知ってる?おれらは閻魔大王に会った時2つしか質問されないんだよ。1つ目は 人生を自分の得意なこと活かして楽しんで過ごしたか。2つ目は その能力をもってして他人にも貢献してきたか。 これだけ聞いて両方クリアしたって答えれる人だけ天国に送って、あとは全員地獄行きだよ。」と後輩らしき男の子に対して嬉しそうに話してました。
閻魔大王とか言い出す高校生いるなと思いながらお金洗うフリして全力で耳ダンボにしながらこれを聴いてた大人32歳のボクは、平常心でお金を洗うふりをしつづけながらも心からは グサァ っていう大きな音と血しぶきが聞こえてきました。
なんちゅー悟り開いた10代おんねん。というツッコミもありつつ、
いやぁ恐れ入りましたって感覚の方がその10倍強くて、ここ直近でも凄く刺激のあるいいイベントだったなーアレ。って回想してました。
普段外に出かけた先で自分より一回り以上下の子が世の真理みたいなことを間接的に大きめの声ではっきりしゃべってくれてることってありますか?あんまなかなかないですよね。
話を少し戻すと、ボクの今回の主張は2点だけ。
①複雑に絡まってると思い込んでることは、丁寧にほどくことで数本の糸に綺麗にわけることがどんな事象でも可能であって間違いない事実ですということ
②それを丁寧にほどくために必須のキーワードは、「元来の自分が持つ強み・良さ・精神的な武器・人柄」これらがそもそもなんだったかを振り返って気付くこと
これに尽きるだろうと。だって悟り高校生がそういってたもん。
ここに今受けてる自己理解プログラムで得た知見も絡めていくと、いわゆるPDCAサイクルと呼ばれてるサイクルのうちの、C(チェック、つまり振り返りや内省)がみんな圧倒的に不足してるから迷子になるんだよ。自己理解プログラムはそのCを徹底的に人生の一部を使ってやるイベントなんだよって言ってくれてます。
P計画を立てるのはもちろんいいし、D実際に行動するのももちろんすごく重要。
僕もそうですが、多くの迷える子羊はPDPDサイクルに近い動きになってるんじゃないでしょうか。
PDCAサイクルのAアクションは、質の高いCを行った後に初めて繰り出されるDoの進化バージョンなわけですよね。
このCが、絡まる糸をほどく作業になるわけです。やみくもにCを怠ったPDを繰り返していくと、毛玉がボワッて大きくなるようなイメージでしょうか。みんなが目指したいのは揖保乃糸みたいに綺麗なおそうめんがピシっと横並びになってる状態だとおもうんです。揖保乃糸の箱あけて毛玉はいってたらウオッてなりますよね
じゃあ質の高いCってどうやって個人でやるんですか・・・って声が聞こえてきました。
それが自己理解・自己分析ってことなのかなって私個人は解釈しています。
やり方・ノウハウ・メソッドは結構ひとそれぞれだとは感じてますけど、
ひとつそれでも確かなこと、私が気付かせてもらったことは、繰り返しになるけど
→元来の自分の良さ武器強み人柄を強く自覚できる作業をすること
→それを元にしてやることや考えをシンプルにしていくこと
これを信じてますし、伝えたい。分かってるよ!って声も分かりしかしないんだけど、あたまで理論が分かってることと強く自覚して確信してることはレベル感が違いそうじゃないですか?そのレベル感のコントロール術を教わったり促してくるのがコーチングという手段なんだと思います。
この記事の締めとして、これ以上ない最適な僕の好きな動画があります。
この須田瞬海さんがこの動画で後輩社員に語る内容は、この記事の内容に強くリンクしていて、
・複雑に絡まってるように見える物をシンプルに解体するよ俺が。
・みんながそれぞれで強みとしてたりやりたいことに集中できるようにサポートするよ俺が。
っていう感じです。
いろんな自己啓発系動画を観てきてますが、この動画は数少ない僕が何度も再生して聞き返している、クオリティが高すぎる知見を含む動画だと思ってます。こんな知見が無料で得られるってヤバイ時代だなって思います。
題名が奥さん宛でしたが、内容は一般向けになってしまいました。
奥さんに一点集中で伝えたいことは1つ。
僕はあなたの可能性、人柄や良さ強み精神的に熟達した領域に至る未来を
心から信じています。
以上です。