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居心地の悪いあなたが愛おしい
向田邦子の「夜中の薔薇」というエッセイ集がある。その中の「言いわけ」というエッセイを久しぶりに読み返した。
滅多にないことだが、テレビドラマの顔合わせの席で、新人タレントがお茶を注いでくれることがある。新人が一人の場合は問題ないのだが、二人いると、そこに微妙なものが流れる。
こんな書き出しから始まる。
「微妙なもの」という抽象的な表現ではあるが、この時点で自分に心当たりがありすぎる。嬉しくなって読み進めた。
お茶を注ぐ新人には得意げな表情があり、立ち損なった方は、あたしはそんなことまではしないわ、という感じで、熱心に台本をめくっているように見える。
あ〜、こういう経験、めちゃくちゃある。
やろうと思ったことを行動に移す前にその場の人間関係とかカーストを考えて立ち振る舞いを選ぶ、ということを反射的に行なってしまう。
なので人より出遅れてなんとなくいたたまれない感じになること、これまでの人生で数えきれない。
自分の人生の中でも幾度となく経験していることではあるが、
友人の愛おしいエピソードを思い出したので残してみる。
友人は、職場の飲み会の最中だった。
楽しく酒を飲み交わしていたとき、事件は起こった。
一人の同僚が盛大にビールをこぼしてしまったのだ。
そのとき、その場にいたみんなが一目散に拭くものを持ち、こぼしてしまった人に駆け寄ったという。
私と似た思考回路を持つ友人は、体が動くよりも先に「これだけの人数がいたら自分が駆け寄っても手持ち無沙汰になるだろう」と思い、敢えて席を立つことはしなかったという。
しかし、皆がその場で役割を持ち、ビールを拭くという目的に向かって行動している。
「一生懸命拭く人」「濡れた服を気遣う人」「ティッシュを持ってくる人」...
こういうのは、役割を見つけた人が勝ちだ。
隙間にある仕事を見つければ、その場での存在意義が得られる。
逆に言えば役割を見つけられなかった人の存在意義はなくなる。ビールをこぼした瞬間から生き残りレースが始まっているのだ。
出だしをしくじり、役割争奪戦に敗退した友人。
熟考の末
「敢えて座って酒を飲み続けてた方が面白い人と思われるんじゃね…?」という結論に至ったという。
そう、「面白い人」という役割を見つけたのだ。
しかし「面白い人」というのは、人から面白がられたときにはじめて「面白い人」という役割を果たすことができる。
「ティッシュを持ってくる人」を果たすことに比べると、大分難易度が高い。
案の定、その場にいた誰からも特に触れられることはなく、「面白い人」にはなれなかった。
「ただ座り続けて酒を飲んでいる人」になってしまったそうだ。
この話を聞いて、私は友人のことが益々大好きになってしまった。
相手のためにと機敏に動ける人に憧れるけど、考えすぎて勝手に居心地悪くなってしまっている気持ち、わかりすぎる。
面白い人になれず、その場に佇んでいるのを想像しただけで笑えてくる。
事実に基づいて考えれば
「ビールを拭く人員は十分足りてるから、気にせず酒を飲み続ければいい」
というだけの話だ。
動ける人か、気にしない人か。そのどちらかであれば、その場での存在意義は得られるはずなのに。
自分の存在意義を問うことで失ってしまう。なんて悲しいんだ。
しかし、こういういたたまれない経験は、した人にしかわからない仲間意識を作る。
新人タレントの居心地の悪さに気づいてしまう向田邦子も、不器用な友人も、私は大好きだ。
人間らしさが愛おしくてたまらない。
そんな人たちにしか分かり合えない気持ちを分け合うことができて、幸せだと思う。
存在意義を問うてしまう自分に嫌悪感を抱くよりも、
同じようなことをぐるぐる考えてしまう人と、うちらアホくさいねえと笑い合う方が有意義なのだ。
その場に馴染めず居心地悪そうに佇むあなたは、誰かにとってたまらなく愛おしい存在だったりするんだよ〜。
と、自分にも言い聞かせる。
今日の一曲
BEAUTIFUL/高橋優
今思ってることを今伝えるのにも
言葉多すぎたり足りなかったりで
悪気なんてこれっぽっちもないはずなのに
悪者みたいにされてしまうときもある
君が優しい人だって知ってるよ
だからこそ傷ついていることも
ここまで来れたことが素晴らしいよ
ひとつだけでいい 信じて欲しい
君は美しい