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地中海―人と町の肖像

都市とはまずもって、住民が快適かつ豊かに生活しうる空間とみなすことができる。農業生産の経済から商品交換への脱却、その富の安全な集積地、軍事上の防衛と制度上の秩序、あるいは権力を整備したうえでの管理能力。どれもが、都市を定義する重要な指標である。ヨーロッパの都市は、それらのいくつかを兼併しながら、都市文明を成熟させてきた。だが、18世紀にいたるまで、その都市を眺望されるべき景観として理解し、表現しようとする発想が、明白な意識をともなって提唱される機会はとぼしかった。都市の成長過程があまりに急速、かつ広範囲にわたり、いまだ景観という視点までには、到達しがたかったからかもしれない。

いずれにせよ、18世紀のころ、イタリアの都市から、景観というコンセプトがとなえられたのには、理由があろう。ヴェネツィアもローマも、当代にあっては経済・政治上の最前線に位置していたとはいえない。むしろ、それぞれ特異な分野において、特質を強調すべき事情におかれていた。しかし、ヴェネツィアもローマも、かつての栄光を都市の空間と時間のなかに宿しており、それがつくりだす景観に無限の吸引力を、あたえることが、可能となっていた。

都市は、景観として住まわれることができる。居住者はそれを、みずからの努力で創出する。画家たちは、それを画面のうえでさらに再編・創造する。あたりまえの理法であるかにみえて、じつはその事実をはっきりと認識したのは、ことによると18世紀のヴェネツィア人とローマ人だったのかもしれない。かりにそうでないにせよ、この時代ののち、地中海イタリアの都市は、景観のなかに都市の生命をみぬき、意識するにせよ、しないにせよ、卓抜の都市らしさを産みおとしてきた。

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