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vol.90 ヘミングウェイ「日はまた昇る」を読んで(大久保康雄訳)

みんなどこか投げやりで、行き当たりばったりで、無軌道な生活の中に刺激を求めながら生きている。そんな若者の姿が描かれていた。

解説には、「第一次世界大戦後の若者たちの精神的荒廃を表現した物語」とあった。実際にヘミングウェイは、第一次世界大戦を経て、何かを失ってしまった世代、いわゆる「Lost Generation」の作家とされていた。

主人公は、パリに移住したアメリカ人記者ジェイク。1925年の夏、スペインのパンプローナで行われる闘牛祭 りを見に行く。パリの友人たちとの人間関係を思い返しながら、ジェイクの主観を通して一人称で語られていた。

語り手のジェイクは、戦争で、性機能障害を負っていた。ブレッドは、結婚をして爵位を持つが、次々に男と関係を持っていた。そのブレッドに恋をしているユダヤ人のロバート・コーンは、みんなになじられていた。マイク・キャンベルは常に酔っていて、婚約者に愛想を突かされていた。アメリカ人作家のビル・ゴードンは、唯一のジェイクの友人で、うまくやっていた。

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みんな、どこか、現実社会から外れたところで生きているように感じた。

ノーベル文学賞作家のヘミングウェイ最高の作品とされているこの長編小説、何が描かれているのだろうか。スペインの明るい太陽と闘牛と牛追い祭りを装置として、人生模索中の青春物語として読んでもつまらない。

やはりここは、第一次世界大戦で破壊された、アメリカ人の道徳や宗教や精神が描かれているように思う。パンプローナの闘牛祭りの場面は特に生々しい。虚無と享楽の中で、みんなが生と死に無感動だった。

そして、最終章の書き出し「朝になると全てが終わっていた」に疑問が残る。朝になってもジェイクの状況は変わっていない。祭りは終わったが世界は暗いままで、彼の心に日は昇っていない。表題が期待を込めた言葉なら、少々浅い。それでも、「日はまた昇る」と堂々と言い切っているところが、アメリカ人らしい。(ちょっと難癖っぽいが・・・)

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自分のこととして考えてみる。

今まで信じていた価値が崩れ、将来に希望が見出せない時、誰かから、「日はまた昇るから」と慰められても素直に受け入れる自信がない。「止まない雨はない」も「明けない夜はない」もいらない。安っぽい比喩は心に響かない。

ジェイクの精神はズタズタなのだ。彼の心に新しい朝を求めるのなら、心優しく、じっくりと寄り添い、具体的な是正計画を親身になって繰り返し考える。精神の回復は、人とのつながりの中でしか解決できないのだ。それでも日は昇らないかもしれない。人間の心は複雑なのだ。

ジェイクを通じて、「ロスト・ゼネレーション」といわれるヘミングウェイが失ったのもを想像した。その心は、おそらく誰にもわからない。世界の文学に大きな影響を与え続けたヘミングウェイは、結局晩年、精神的に追い込まれ、散弾銃で自殺していた。

新潮の解説によると、表題「日はまた昇る」は、旧約聖書からの引用らしい。

おわり

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