うつ病を経て⑤父を見送る(3)〜ポメ飼いオヤジ
緩和ケア病棟から連絡が入り、夜中に駆けつける。
亡くなった父に対面した。
目も口も開いたままだけど、穏やかな顔だ。
面会の帰り際、「また来るね」と言うといつも手を振ってたのに、その日はなかった。何か言いたげなのか、よく分からないまま帰った。最後に何か言いたかったのか?もっと粘って訊けばよかったかな。
冷たくなった父に3人で話しかけながら少し涙ぐんだ。でも色々な手続きを進めなければならない。それはある意味ありがたいことで。立ち止まる暇がない方がいい。
看護師さんの話では、父はその晩も夕食をほとんど取らず、それでも受け応えはあった。消灯時に見ると呼吸が止まっていたとのこと。酸素マスクを使い始めたばかりで、そのまま苦しまずに逝けたのなら幸いだ。
医師の死亡診断が終わると、この後すぐに退出しなければならないとのことで、葬儀社の手配や片付けをする。看護師さんに清拭をしていただけた。着替えたり髭を剃ったり、入れ歯を入れて目も口も閉じて、とてもキレイな顔になった。
それから斎場に運んで安置。その後はお通夜、お葬式、荼毘に付して、初七日、四十九日と過ぎていく。
更に後日、役所、金融関係の手続きなど、遺された母を気遣いながら、思い出話をして偲んだり。
看護師さん、デイサービスのスタッフさん、そしてタクシーの運転手さんにも、とにかく感謝しかない。
自分は何も出来なかったよなぁ。
これまで訃報に接することが少なくなく、その度に悲しみに共感してきたつもりだった。しかしいざ自分が同居家族を見送る、3人で暮らしていたのが2人になる、という立場になって、出来事の大きさに心が動く。悲しいとか寂しいとか、そんな単純なものでない気もする。ぽっかりと心に穴が、とか身体の一部を持っていかれる、とかの表現はまあ僕よりも母にとっては当たっているのだろうが。
もっとしてあげることがあったのでは?という気持ちもあるけど、それはまあ詮ないことで。
それよりも気になったことは、自分がこの先、人生の幕引きをどのようにするのか?今までちゃんと考えてこなかったことに思いが至る。
人生の幕引きは自分ではどうにも出来ないのだな、と思うと何とも言えない気持ちになる。「人生とは?」という大命題。悲しみや寂しさ、虚無感、後悔も少し。
いずれにせよ、父を見送ったことについては心の準備が出来ていたこと、社会的な手続きに追われることで、落ち着いて向き合えた。惜しむらくは喪主の挨拶で感極まって少し涙声になって、準備していたことを言い尽くせなかったこと。残念。
こうして、家族を亡くすという体験は何とかやり過ごして、まだ進行形ではありますが、今の平穏に至ります。
さて長くなりましたが、次回からは再びうつ病に至った自分の過去を綴りたいと思います。