うつでした⑦懺悔〜うつのオヤジが犬を飼うまで
昭和最後の年に入社、関東に配属となり大阪から赴任。寮での独り暮らしと社畜的生活が始まった。
当時は仕事に忙殺されても当たり前だったし、むしろやり甲斐を感じていた。特に強みを持たない自分が役に立っている、周りから評価されていると思えて、会社が居場所だったのだ。
同期にも恵まれ、大学時代の不足を取り返すかのように休日は楽しく遊び、公私で忙しかった。
ある日、工場の同期Yが辞めると言っている、との連絡が入った(当時は携帯電話もまだ無かったので、寮の共同電話にかかってきた)。Yはよく一緒にドライブに行ってた同期ので、びっくりしてすぐさま東京から駆けつけた。
部屋を訪れると、Yは明らかに様子がおかしい。ろくに寝ていないらしい。とりあえず食事に行こうと2人でファミレスに行った。
もう仕事出来ない、兵庫の実家に帰る、と言う。退職を引き留めるつもりで来たんだけど、話をしていて切迫した様子に怖くなった。実家まで一緒に行こうか?と言いかけたが、言えなかった。尻込みしてしまった。
Yと別れ、同じ寮の連絡をくれた同期の部屋を訪れて話をした。
今であれば、Yはうつ病で、不眠で危ない状態なのだ、休ませて専門医にかかるべきだと分かるが、当時はまだ知識がなかった。本能的に危機感を感じたものの、対処方法が分からず自分を守るのに精一杯で。
そのまま同期の部屋に泊めてもらい、Yをもう引き止められないが、実家でゆっくりするのならそれでいいよな、などと話した。
朝コタツでまだ寝ているとドアが開き、Yが顔を出した。
これから実家に帰るからと言った。神奈川から兵庫まで車で、寝不足でひとり運転するのは心配だったが、ついて行く勇気や思いやりが僕にはなかった。
コタツに寝たまま見送る僕には、Yの表情が逆光で見えず。それはまるで夏目漱石の「こころ」に描かれていた場面のようだった。
その後、行方不明になったYが見つかったと連絡がきたのは、同期の結婚祝いの飲み会が終わった夜だった。お祝いが終わるのを待ってくれたかのように。独りで自らの命を絶ってしまった。
ショックと悲しみと後悔と自責の念と、言い表せない感情で眠れない夜が続き(独りの部屋の電気を消せなかった)、ひどく憔悴して同僚からも心配されてるほどだった。
懺悔しようにも何の手立てもないまま日常を積み重ね、1年経ったタイミングでYが夢に出てきた。
彼は笑って言葉をかけてくれた。
そして、僕の心の重しを取り去ってくれたのだった。
ごめんね。
ありがとう。