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人はそれぞれ見えている景色が違う、のお話

こんにちは。フリーランスとしてITエンジニア&デザイナーで活動している、大井かおりです。0歳8か月の息子を自宅で見つつ、フルリモートでお仕事してます。
最近、プチ移住や自然豊かな場所への旅が自分の中でホットになってきているので、おススメの場所があればぜひ教えてほしいです!

さてさて、今日は、「人それぞれ見えている景色って違うよね」ということについて綴りたいと思います。
一見当たり前のこととして捉えられていそうな、このワード。
ですが、私は義母から真逆の意見を突きつけられました。

ここでは深くは触れませんが、私の夫と夫の母(私から見た義母)は現在関係がとてつもなく悪化中です。火種は夫で、夫は自分の実家へ足を踏み入れられない状態です。

夫の意見や考え方を、義母が理解できない、というのが原因でした。が、あるとき夫の実家へ私と息子だけで遊びに行ったとき、ふと冷戦中の夫vs義母の喧嘩話になり「かおりさんも○○(夫)と同じ意見なのよね?」と言われました。
「そいういう意見もあるのか!」というのが私の一番の心の声でした。

理由としては、
・まず人同士、同じ意見というのはほぼないと思っている(人はそれぞれ価値観の多様性がある)
・「常識」はあくまで「言っている本人にとっての当たり前」でしかない
・たとえ夫婦であってもそれぞれに考えがあり、価値観は微妙に違う

と私は考えているからです。(勿論これもあくまで”私の”価値観。他の人が一緒とは限らない)

義母曰く、
・夫婦は同一の価値観のもと共に生活をしている
(例えば、夫の行動や言動は妻も賛同・容認している存在である、なのだそう)
・「一般的な常識」から外れている人は「非常識(=悪)」

という意見でした。

なんかそれって窮屈に私は感じてしまいました。

人を裁いたり(ジャッジしたり)、あくまで自分の中の”当たり前”(常識)なだけなのに、それを人に押し付ける思考回路って、苦しくないでしょうか?

「人それぞれ見えている景色って違うよね」って、
言い換えると、隣の家から見た景色は違う、ということだと思うんです。
自分の家から見る外の景色と、隣の家から見る外の景色って意外と違ったりしませんか?

たとえ夫婦だったとしても、それぞれが別の人格で、異なる価値観を持っていると思うんです。なにかしらの波長が合って、今その瞬間、一緒にいるだけなのかなと思います。(未来永劫一緒にいるとは限らない)

でも義母を見ていて、自分も気を付けようと思ったのは”「常識」に相手をはめ込まない”ということ。
私の場合、「自分はこうありたい」「こうしたい」「これがいい」の価値観に、相手まで巻き込もうとしていることが、無意識にあるように思います。
例えば日常でいうと、「掃除は毎日すべき」「洗い物は綺麗に夜のうちに一通り片づけるべき」などなど。綺麗にしておきたいのは”私自身”なのに、食器洗いが終わったあとに夫から使ったコップをポンとシンクに出されると嫌な気持ちになってしまうこともあります。。

相手の意見や考えは否定せず、自分はどうありたいか、にフォーカスして、これからも、せっかくのご縁で関わっている周囲の相手と、前向きな人間関係を築いていきたいです。

読んでいただき、ありがとうございます。
今日も皆様にとって素敵な一日でありますように。
かおり

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