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「スクールカウンセラーを増やしても、不登校は減らなかった」から、ロジックモデルの可能性を考える

はじめに

先週、こんなニュースがあった。

ここ10年程で、スクールカウンセラーの配置を大幅に増やしたが、不登校は減少するどころか増加した、というものだ。

この話を、ロジックモデルの観点から考えてみたい。

ロジックモデルとは
事業が成果を上げるために必要な要素を体系的に図示化したもので、事業の設計図に例えられる。一般的なロジックモデルの図は、事業の構成要素を矢印でつなげた形で表現され、インプット/活動/アウトプット/アウトカム、の4要素で図示される。

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インプット:事業活動等を行うために使う資源(ヒト・モノ・カネ)
活動:モノ・サービスを提供するために行う諸活動
アウトプット:モノ・サービスを提供した結果
アウトカム :事業や組織が生み出すことを目的としている変化・効果。「社会的インパクト」と呼ばれることもある。
(参考:SIMIウェブサイト


まずは、今回のケースを、記事の情報を基にロジックモデルに表すと、下のようになる。(SC=スクールカウンセラー)

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これは、実際に起きたことではなく、「SCの配置を増やす」と決定したときに期待していたこと、言い換えれば、当初の仮説、と言うことができる。

それに対して、実際に起きたことを表すと、こうなる。

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ここから何が言えるだろうか。

なお、ここでは、不登校という問題自体を考察するのではなく、この話をロジックモデルの観点で捉えると何が見えてくるかに焦点を当てる。それにより、ロジックモデルが、より良い事業形成に資する可能性を探っていくことを目的とする。そのため、文部科学省が実際にどんなロジックを持っていたか(あるいは持っていなかったか)に関わらず、あくまでもニュースを題材としたケーススタディと捉えていただきたい。

さて、今回の話をロジックモデルの視点で捉えると、4つの問いが浮かび上がる。

1.アウトカムは妥当だったのか
2.指標は妥当だったのか
3.活動は妥当だったのか
4.ロジックは妥当だったのか

1.アウトカムは妥当だったのか

まずは、SCの配置によって生み出したいアウトカム(成果・変化)は、「不登校の減少」だったのか、という問いである。

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そもそもSCは、不登校防止を目的としているのだろうか。文科省のサイトには、SC配置の背景について、こう記されている。

近年のいじめの深刻化や不登校児童生徒の増加など、児童生徒の心の在り様と関わる様々な問題が生じていることを背景として、児童生徒や保護者の抱える悩みを受け止め、学校におけるカウンセリング機能の充実を図るため、臨床心理に専門的な知識・経験を有する学校外の専門家を積極的に活用する必要が生じてきた。

このため、文部科学省では、平成7年度から、「心の専門家」として臨床心理士などをスクールカウンセラーとして全国に配置し(平成7年度 154校)、その活用の在り方について実践研究を実施してきた。

この他に、不登校との関連性については、同サイト「SCの役割及び意義・成果」の中で、こう記されている。

スクールカウンセラーが相談に当たる児童生徒の相談内容は、不登校に関することが最も多いが、いじめ、友人関係、親子関係、学習関係等多岐にわたっており、近年は、発達障害、精神疾患、リストカット等の自傷やその他の問題行動などますます多様な相談に対応する必要性が生じている。
不登校に関するスクールカウンセラーの効果として、文部科学省が毎年行っている調査では、「不登校児童生徒への指導の結果、登校するようになった児童生徒に特に効果があった学校の措置」として、「スクールカウンセラー等が専門的指導にあたった」と回答した学校が、学校内での指導の改善工夫中、最も多い。また、「不登校児童生徒が相談、指導、治療を受けた機関等」としては、スクールカウンセラーが小・中学校ともに最も多い状況である。

まとめると、
・近年の不登校の増加は、児童生徒の心に問題が生じていることの表れで、そこに対処するためにSCが配置された。
・児童生徒からSCへの相談は、不登校に関する問題が最も多い。
・不登校児童生徒が登校するようになったことに特に効果があった措置として「SCの指導」を挙げた学校が最も多い。
となる。

このことから、SCの目的は、不登校と密接に関連するものの、「不登校を減らす」ことそのものよりも、不登校に象徴されるような「児童生徒の心の問題に対応する(解消する)」ことにあると読みとれる。同時に、心の問題が解消すれば、その先に、不登校も減少するという期待があったことも推測できる。

それをロジックモデルに表すと、以下のようになる。1つアウトカムが加わる格好だ。

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ここで最初の問いに戻る。SCの配置を増やすことで生み出したいアウトカムは、「不登校の減少」だったのか。あるいは、「心の問題の解消」だったのか。その両方なのか、あるいは、どちらでもないのか。

さらに、心の問題の解消は、不登校の減少につながるのか?

ロジックモデルをつくることは、事業が生み出したい変化は何のか。その問いに向きあうことでもある。SC配置の本来的な目的は、果たして「不登校の減少」なのか?



2.指標は妥当だったのか

次に、「不登校数」を指標と捉えた場合、それは妥当な指標か、という問いである。

アウトカムを可視化しようとするとき、そこに「指標」が設定される。指標は、目に見えないアウトカム(変化や成果)を測るためのモノサシとも言い換えられる。

今回のケースでは、不登校数が、アウトカムであると同時に「指標」でもあると捉えることができる。では、これは何を測るモノサシなのだろうか。

もし、「不登校の減少」を表すモノサシであれば、その妥当性を議論する余地はあまりなさそうだ。

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アウトカム:不登校の減少
指標:不登校の児童生徒の数

しかし、SCが本来めざすアウトカムが別にあって(仮に、「児童生徒の心の問題への対応(解消)」だったとする)、それを測るモノサシだったら、どうだろうか。

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アウトカム:より多くの児童生徒の心の問題の解消
指標:不登校の児童生徒の数

心の問題が解消されれば、不登校は減るのか?不登校のまま、心の問題が解消されていることはないのか?心の問題の解消を測るモノサシとして「不登校者数」は、適切なのか?そこには議論の余地があるように思える。

指標は、妥当だったのか。指標はアウトカムに付随するものであるため、この問いは、1でアウトカムの議論が尽くされた上で投げかけられるものとなる。


3.活動は妥当だったのか

今度は逆に、もし「不登校の減少」が最終アウトカム(最終目的)だったとして、「SC配置」という活動(手段)は妥当だったのか、という問いである。

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これを考えるには、なぜ不登校になるのか、という問題の原因や構造への理解が必要となる。さらに、一口に「不登校」と言っても、一人一人の状況は異なり、同じ道具でみなの問題が解決することは考えにくい。それでも、たとえ万能ではなくても、少しでも良い手立てを探していくのだ。

「SCの配置」という対策がとられた根拠については、文部科学省のサイトから、その一部が読み取れる。

・スクールカウンセラーに関するアンケートの結果、スクールカウンセラーの配置及び時間数の拡大を希望する意見や、スクールカウンセラーの効果を評価する意見が多い。
・「学校の教育相談体制をどのように充実すべきと考えるか」(複数選択)については、「スクールカウンセラーの配置や充実」を選択した学校が小学校と高等学校では8割を超え、「教員間の連携の強化、情報の共有」を選択した学校は小学校、中学校、高等学校で6割以上で、すでに多くの学校にスクールカウンセラーが配置されている中学校では一番多かった。また、教育委員会では「スクールカウンセラーの充実」を選択したところが約9割、「教育相談等に関する教員研修の充実」を選択したところが約7割であった。

ここから、SCの配置は、学校や教育委員会の評価やニーズが主な裏付けとなっていることが窺える。アウトカム達成(たとえば不登校の減少)のために、他の選択肢は検討されたのか、他の選択肢との比較においてSC配置が選択されたのか、までは明らかではない。

いずれにせよ、もし「不登校」の課題を解決したいとするならば、なぜそれは起こるのか、どこから現状を変えていくことができるのか、そのとき、SC配置が適切な手段なのか。そうしたことを考えていく必要がある。

さらには、SC配置を倍増させる、という「数」だけではなく、その「中身」も大切だ。どこに、どのように、どのような役割で配置されるべきなのか。どのような人材であるべきなのか。SCとは、その目的を共有しているのか。

もちろん、1の結論(アウトカム)が変われば、適切な「活動」は変わってくる。


4.ロジックは妥当だったのか

最後は、目的(アウトカム)と手段(活動)をつなぐロジックが妥当だったのか、という問いである。これは、これまでの1~3と表裏一体で、1~3が妥当ならロジックも妥当、ロジックが妥当なら1~3も妥当、といえる。

ここでは、不登校の原因や構造にも、SCの本来的な目的が何かにも踏み込まないため、ロジックの検討は限られるが、それでも見えてくることがある。

横のロジックと、縦のロジック、の2軸から考えてみよう。

<横のロジック>

まずは、なぜ、「SCが増えると、不登校が減る」と考えられのか。前出のロジックモデルでは、解像度が低く、視界がぼやけている。

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そこで、あくまで想像上だが、アウトカムの分解を試みる。

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もちろん、これではまだ解像度が低いし、現実との乖離もあるだろう。しかし、これを例とするならば、一番左のアウトカム=「SCに相談する生徒は増えたのか」という問いがここで立てられる。

SCの増加は、データで示されている。しかし、それにより、「SCに相談する生徒が増加」していなければ、その先の変化は期待しにくい。

さらに、「SCに相談する生徒が増える」と、次に何が起こるのか。どんな変化がつながって、最終的な問題解決に至るのか。その連鎖は目には見えにくいが、その見えないものを解き明かそうとするのが、ロジックモデルである。

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こうしたロジック、言い換えれば見えにくい変化の連鎖を、現場の方たち、専門家、場合によっては当事者の声を聞きながら、丁寧に組み立てていく。その中で、最後に来るのが「不登校の減少」なのかどうかも、おのずと見えてくるかもしれない。

<縦のロジック>

横のロジックが、「不登校の児童生徒」の変化の連鎖を表しているとすると、縦のロジックは、彼ら以外の人たちの変化を表す。

たいていの問題は、当事者だけの問題ではない。当事者だけの変化で解決するものではなく、当事者をとりまく環境(この場合は、学校環境や家庭環境)あるいは社会全体も変わっていく必要がある。ジェンダー格差の課題が、女性だけの問題でもなければ、女性だけで解決できる問題ではないのと同じだ。

今回のケースでは、児童生徒がのぞましい最終アウトカム(それが不登校の減少であれ、別のものであれ)に向かうために、保護者は、先生は、他の生徒たちは、学校は、教育は、行政は、どう変わり、どう関係しあっていくのか。それを考えるのが縦のロジックである。

ここではロジックモデルを作り上げることが目的ではないため、あくまでイメージとして掲載する。伝えたいのは、ある特定の人の変化をめざすものであっても、それはとりまく人たちの変化と影響し合って生まれるということ、その多面的な視点をできるだけ内包することで適切な活動に近づける、ということ。生徒が変わるには、それより先に、先生や保護者が変わらなければいけないかもしれない。そうしたロジックが見えてきたら、生徒ではなく、先生や保護者に向けた活動が優先されるかもしれない。

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課題に関わる関係者は、誰なのか?それぞれの関係者にとって、のぞましい変化(アウトカム)は何なのか?そして、みなが最後にめざすゴール(最終アウトカム)は何のか?ロジックモデルが投げかける問いを、みなで答えていく。その過程自体が、課題解決の一部となる。

さいごに

ロジックモデルは、より良い事業をつくるためのツールである。そのツールとしての可能性を、スクールカウンセラーと不登校の話を題材にして考察した。

そのため、スクールカウンセラー配置の是非を問うことや、不登校増加の理由を解明することは、ここでの目的ではない。一つ言えるとすれば、「不登校の増加」だけをもって、スクールカウンセラーを増やしたことが不適切だったとは言い難い、ということである。

ロジックモデルは、それを作る過程が重要だと言われる。この取り組みが本当にめざす目的は何なのか?それは何によって測ることができるのか?そもそも、その問題はなぜ起きるのか?だれがどのように関係しているのか?その複雑な構造を、どこから解きほぐすことができるのか?ロジックモデルを作ることは、そうした問いに向き合うことでもある。

事業を遂行すること。それが目的化してしまう状況から一歩引いて、改めて事業の「そもそも」を考える。それによって、事業が届けるべき人たちに届いていくこと。小さくても、確かな変化を生んでいくこと。それがやがて、誰かだけではない、社会全体の価値となっていくこと。ロジックモデルがそのきっかけとなる可能性を、探求していきたい。

ケイスリー 今尾江美子


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