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【2】気がつけば、改変歴史SF!?

 【1】でも紹介した通り、キース・ロバーツが中編版の「Molly Zero」をロバート・シルヴァーバーグ編のアンソロジーに発表したのは1977年。
 そして長編版『モリー・ゼロ(Molly Zero)』の刊行が1980年。

 舞台は近未来の英国、閉鎖的な教育機関〈ブロック〉で外の世界を知らずに育ったヒロイン、モリーは、親友リズの死をきっかけに、〈ブロック〉を脱走して、外の世界の有様、隠された背景を、「自らの体験」で、少しずつ知っていくのだが……

 その中編版と長編版に共通する描写として、物語冒頭では、〈ブロック〉の子どもたちがディーゼル列車で集団移送される。
 列車のたどり着いた先では、モノクロディスプレイ(カラーはあるところにはあるが、珍しい)、テキストベースのコンピューター端末が並ぶ教室で、ネット回線経由の授業が行なわれている。さらに物語が進むにつれ、ホログラムによる疑似体験授業なども登場してくる。
 1977~1980年当時なら、端末経由で画面に表示される服を選択して手配したり、教室に授業用の端末が並ぶ〈ブロック〉の描写は、読者にとってホログラムなどと同様の「近未来」技術と感じられたはずだ。

 しかし、2020年代の読者にとってはどうだろう?

 主人公モリーたちにとっては、〈ブロック〉が〈高校〉にまで進んで、そこの授業で初めて使われるホログラム。
 作中の技術としてはやや「未来的」だが、それすらも、2000年代以降の読者から見れば、ディ○ニーラ○ドのアトラクションなどの延長レベルくらいに感じられるのではなかろうか。
 教室に端末のディスプレイとキーボードが並び、合成音声のテキストが読み上げられ、回答はキーボードで入力する…
 そんな光景は、ネットやスマホ、タブレットが一般的となった2020年代の読者が読むなら、むしろ「レトロ」と感じられるだろう。

 モリーが〈ブロック〉を脱走した先の世界では、蒸気機関車が現役で使われ、鉄道以外の主要な交通手段はなんとホバークラフト(!)
 テレビはあるが、電子式(ブラウン管)ではなく機械式(!)、印刷は活版印刷が主流、おそらく文明レベルは1950年代程度……

 1980年の長編版初刊当時なら、読者にとって、第1章の〈ブロック〉での端末授業の描写だって、ホログラムなどと同様の「近未来」技術と感じられたはずだ。
 すなわち、第1章はまるごと「近未来」で、それが第2章以降になると、1950年代相当の「レトロ」に取って代わられるギャップを感じたのではないかと思う。

 一方、2020年に読む読者にとっては、すでに述べた通り、第1章で描かれる技術レベルはむしろ「レトロ」と感じられるだろう。
 現代の視点では、ここに描かれた世界は、現代とは異なる歴史をたどって、技術の発展が(なんらかの意図をもって)制限された世界、あり得たかもしれない、この世界と地続き感のある世界、オルタネート・ワールド(改変歴史)に感じられたりしないだろうか。

 20世紀末に起こった大規模核戦争で分岐した、(おそらくは)核の冬の環境下にあるオルタネート・ワールド(改変歴史)の物語。
 現代では廃れた古い技術(蒸気機関車、機械式テレビ、ホバークラフト、活版印刷などなど…)が独自に普及しているあたりは、『パヴァーヌ』での蒸気自動車や腕木式通信網などの技術描写を連想させる。

 科学技術の発達を抑制された「もうひとつの歴史」世界を舞台に、そこに生きる人々の生活を活写する。
 2020年代に読む『モリー・ゼロ』は、まさにもうひとつの『パヴァーヌ』とも感じられる。
 そして、ヒロインのモリーや、モリーの出会う人々は、それぞれに魅力的だ。

 そんな『モリー・ゼロ』を、例えば、映画としてイメージしたら、どんな感じになるだろう。
 閉鎖的な〈ブロック〉での〈寄宿舎〉生活、画面のトーンはちょっと昏くて、時に1990年代っぽいPCのようなガジェットも出てくるが、それも、筐体は古ぼけて変色していて、ディスプレイもちょっとノイジー。時折、女性の声で二人称の呼びかけがシーンにかぶさる。
 ロードムービー風の逃避行の過程では、英国の田園風景に、1950年代っぽい文化・風俗、きらびやかな移動遊園地とロマニーたち、舞台がロンドンに入ると、また画面は昏いトーンに、血なまぐさいシーンも嫌悪感を抱かせるようにやや強調して……と、連想してくると、これはやっぱり『未来世紀ブラジル』のような、テリー・ギリアム作品に近いイメージになりそうだ。
 うん、ちょっと観てみたい気がする。

 大野万紀氏は文庫解説で、『パヴァーヌ』を宮崎駿の映像で観てみたい、と語っていた。
 実際、自分で訳してみると、なるほど、ロバーツの情景描写はイメージ喚起力が強く、映像にしたらこうもあろう、という妄想がいろいろとわいてくることを実感した。

 とりわけ、〈ブロック〉を脱走したモリーが海辺の町で初めて外の世界での日常生活を送る『モリー・ゼロ』第3章は、大家さんとなるおしゃべりなおかみさんと無口なだんなさん、ちょっとミーハーなその家の姉妹、ちょっとこすっからい役所の職員や最初の職場となる靴屋の店主、モリーが意外な商才を発揮することになる二つ目の職場の八百屋の老店主などなど、生き生きと描かれるキャラクターたちとその日常は、『赤毛のアン』あたりのキャラクターデザイン、演出で映像を観てみたい気がする。

 また、ちょうど翻訳を進めていた最中の2019年に公開されたアニメ、劇場版『ヴァイオレット・エヴァーガーデン外伝』は、レトロな世界観に、女子寮の寄宿舎生活、ダンスの練習などが描かれていて、『モリー・ゼロ』第1章のモリーと親友リズの寄宿舎生活はこんな感じかもなあ、とか思ったりもしたものである。

ファンジン版について

<内容紹介>

 カトリックの支配で科学技術の発達が抑制された英国を舞台にした改変歴史SF『パヴァーヌ』で知られるキース・ロバーツ。

 1980年に発表された『モリー・ゼロ(Molly Zero)』は、近未来の英国を舞台にしたディストピアSF……だったはずが、近未来描写に現実がほぼ追いついた2020年に読む本作は、20世紀末あたりに分岐した、科学技術の抑制された「もうひとつの英国」の姿を描く改変歴史SFになっていた!?

 そしてまた、本作は幾多の英国児童文学へのリスペクトが盛りこまれたロバーツ流SF児童文学でもあった。それと、百合(笑)!?

 翻訳の過程で調査・考察した長めの解説を各巻に、また、訳文に盛り込めなかったいろいろな事項を200以上の訳注として付しました。

<版権について>

 遺稿のエージェントと交渉して非営利目的のファンジン限定の版権を取得。
 また、『図書室の魔法』のジョー・ウォルトン氏による、ロバーツ愛にあふれたブックレビュウを、ご本人の許可をいただき、イントロとして配置しました。

※なお、版権契約上、最大500部、2025年までの限定販売となります。




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