【1】あのころのリアリティ
幼少期の思い出には母方の実家のウェイトが大きい。
母の兄弟は兄が二人、姉が二人で、母は五人目の末っ子だったが、それぞれの一家が、お盆や正月には祖父母のいる実家を訪ねて、夜は大宴会。
他の伯父伯母は同じ市内に居を構えているので、うちの家族だけが、帰省の期間は泊めてもらっていた。
そんな帰省の期間内に、りぼんで読んだ千明初美「いちじくの恋」は、同じように、田舎に、休みごとに親戚の集まる話で、他人事とは思えないリアリティがあった。
ついでながら、続編の「七夕」では、従兄弟姉妹たちが大きくなってきて、親戚の訪問もまばらになっていく時期が描かれ、これもまた他人事ではなかった。
(「いちじくの恋」収録)
時代が下って、1987年4月に当時所属していた研究室に新しく赴任してきた教授の第一声は「金沢に行こうよ!」だった(その当時、自分は大学院の修士1年)。
その心は、「今から半年でデータを出して、金沢で開催される学会で発表しろ!」ということで、すったもんだの末、なんとか初の学会発表にこぎつけた。
学会の終わったところに自由時間が1日あり、半日は研究室の学生たちで兼六園など市内名所を回り、午後は各人フリーで、ということで、自分は美術館などを鑑賞した。
その帰途、駅まで歩く途中にたまたま見つけた小さな古本屋。
覗いてみると、マンガの棚に、りぼんマスコットコミックス版の千明初美傑作集が3冊揃いで(『蕗子の春』『いちじくの恋』『バイエルの調べ』)あった。
その時期には、もうほとんど新刊書店では見かけることもなかったので、まとめて買って帰った。
初めての学会の「逍遥」の意外なお土産だった。
同じりぼんの中でも、大人っぽくて華麗な一条ゆかり、乙女チックな陸奥A子、田渕由美子、太刀掛秀子らが看板作家として活躍する中では、親近感を持って愛読していた子供から見ても、千明初美の作風は地味に感じたものだった。
作品のテーマは、学校の同級生たちになかなかなじめない悩み、幼なじみとのちょっとした行き違い、貧しい家庭を一人で支える助産師の母親とその娘、教え子に溶け込もうと奮戦する新任教師、ちょっと普通と違う母を友だちに会わせたくないと思う思春期の娘の微妙な気持ち、などなど。
あくまでも、その当時、昭和40年代の小学生~中学生の世代の身近な日常に材を取り、ささいな、だけど子供にとっては人生を左右するとも思える出来事と、それをめぐる心の動きをきめ細かに描いた作品群は、時代背景を除けば、今読んでも決して古びていない。
過剰に華やかではない、少年マンガ的とも見える、簡素だけど流れるようなペンタッチ。
当時はさらっと読んでいたけど、今見ると、一コマ一コマから、全体の構成までが職人芸的に感じる。
そして、高度成長期の子供たちから見た、社会の変化につれて少しずつ変わっていく日常。
少女マンガにしろ、少年マンガにしろ、「非日常」を描くことが多い中、当時の子供たちをとりまく「日常」を細部までスケッチしたような作品は意外と少ないのではないか。
『ちひろのお城』の復刊はうれしかったが、当時の他の作品も、もっと読まれて欲しいと思う。
<付記>
なお、その後の千明初美先生は、実は学習マンガの分野で堅実にご活躍だったようだ。
特に、『紫式部』は実は今も新刊で購入できるロングセラーになっている。
2024年現在、ちょうど紫式部が大河ドラマのヒロインになっているが、副読本としてなかなか悪くないと思う。