【8】研究をしよう
さて、ここまで学会発表、や論文投稿にまつわる話をいくつかしてきたけど、当然ながら、肝心の「研究」がなくてはどちらもすることができない。
それでは、そもそも、科学者はなぜ「研究」なんてことをしているのか。
(もちろん、科学だけが「研究」ではないが、ここは話の流れということで、ひとつ)
人によって答えはたくさんあるとは思うが、いきなり、「人類の英知の殻を広げたい」などと高尚かつ崇高な使命感に燃えて「研究」を始める人はいないだろう。(そういう方もいるかもしれないが…)
さて、高野文子描くところの、科学を志す若者たちが住まう架空の学生寮『ドミトリーともきんす』の住人でもある中谷宇吉郎青年が、現実世界の大学で寺田寅彦の研究室に在籍していた当時、いわゆる「球皮事件」という出来事があった。
ある時、海軍の飛行船の爆発事故の原因究明が寺田研に依頼される。
最終的には、無電の発信機の発した電気火花が飛行船の外皮(これが球皮)の表面を伝わり、漏洩していた水素ガスに引火した、との結論に至るのだが、寺田寅彦があっと驚く仮説を立て、実験で検証し、ついには再現実験の成功に至る。
実験を担当することになった中谷宇吉郎青年にとっては、それがたいそう面白かったのだという。
ということで、この事件をきっかけに「研究」に目覚めて、理化学研究所の寺田研時代に中谷青年の取り組んだ研究テーマは「電気火花の研究」だった(その研究で撮影された電気火花の写真は、今なら『森羅万象帖』で見ることができる)。
この「球皮事件」、なんだか「研究」っぽくない、と思う人もいるだろう。
実際、今でいうなら工場などの現場でのトラブル解決のような話だし、寺田研としても、頼まれ仕事だ。
それでも、「謎が解けていくプロセス」が、中谷青年には、とても面白く感じられたのだ。
寺田寅彦の門下で「研究」と「観察」の面白さに目覚めた中谷青年は、北海道大学に赴任後、雪の結晶をひたすら「観察」して、人工雪を作る手法を確立して、雪の結晶の形と上空の気象条件との関係を解き明かしていく。
(余談だが、『ドミトリーともきんす』は中谷宇吉郎が学生を伴って冬の間、雪の観察のために滞在した山荘を建物のモデルにしている、とのこと)
その成果がいわゆる「中谷ダイヤグラム」、有名な言葉に言い換えると「雪は天から送られた手紙である」となる。
さて、自分はたまたまビール屋だが、35年も仕事をしている中では、工程トラブルの解決のような仕事もたくさんしてきた。
そういう仕事は、まず「なぜそれが起こったのか」を調べるところから始まる。
とつぜん振られる頼まれ仕事であることも多いが、そんな仕事に、ささやかな謎解きの楽しみを感じる人は、たぶん「科学者」の素養があると思う。
だいぶ前のことになるが、当時の製造部門のトップが、若手の集まる会で「自分は諸君らのことを科学者だと思っている」とコメントされたことがあった。
若手に厳しいことで知られた大先輩であったが、それを聞いた時、「ああ、この人も「科学者」だったんだな」と思った。