俺は何のためにゆる体操をやっているのか
こんにちわ午後もがんばりましょう
とnoteを開いたら、そんな言葉を目にした俺です。
今日日曜日だし、明日月曜日か~、あー、仕事行きたくないでゴザル~と
いつも思っていることを感じたよ。
さて、つかみにもなっていない前置きはこのくらいにして、本題に入ろう。
昨日のことである。
午前中は、ダラダラ過ごしていた。
二度寝サイのコーと思いながら、昼近くまで寝ていることもしばしばだ。
それでも寝床からやっと起きて、まず寝ゆると呼ばれるゆる体操をする。
そこから、文字通り
「頭から足先まで」
をじっくりゆる体操をするのが、毎朝の日課になっている。
・・・こう書くと、自分でもよく続いているなあと思う。
なんせ、継続することが出来ないことが多く、3日坊主で終わればいい方で
1日で止めてしまったことも多い。
なんせ一番嫌いな言葉が「努力」で、その次が「ガンバル」。
あ、ノルマや、営業努力もイヤだなぁ・・・そういう性格である(・∀・)
そんな自分がなぜこうも続けていられるのだろうか。
ゆる体操を始めたきっかけについては既に述べた。
・・しかし、今は、どうでも本質力が上げなければいけない状況ではないし
別段サボったって良い。
休日昼間で寝てると
「あー、メンドくせえ・・・今日は寝ゆるだけにしよっか」
とか、頻繁に思う。
それでもなんだかんだでついついやってしまう・・・・これはなんだろうか。
習慣の力
・・・うーん、まあ、そうかなあ・・。
克己心
・・・・・違うな、そうじゃない・・・・。
やるとやはり快適になる。
うん、これだろう。本質的な快適さは、努力や習慣、克己心といった言葉を
超えたものを自分に与えてくれる。だから、ズボラな俺でも続けていられるのだ。
しかし、ここで別の悩みがある。
「趣味はゆる体操です」
と言い切れない自分も居るのだ。
・・確かに
「趣味は格闘技です」
「古武道習っています」
「ヨガです」
「ソロキャンプが好きです」
とかに比べ
「ゆる体操を習ってます」
というのは、どう相手に伝わるのだろう、とついつい考えてしまう。
確かに学生時代に比べ、遥かに健康になったという実感はあるが
仕事にそれが役立っているのか・・・と言われると言葉に詰まってしまう。
コミュニケーション能力が飛躍的に上がったわけでもないし、人間関係の改善に役立ったという事も残念ながら無い(本稿執筆時点で)。
ま、やらないで仕事に行くのと、やって仕事に行くのとでは雲泥の差が
あるのだが・・・・・・多分その辺り、自分の認識を言語化出来ていないし、
言語化しても相手にどう思われるだろうか・・・・自信が無い。
以前
の記事の終わり部分で
「ゆるトレで培った本質力で、彼女を作るってのもアリかな」
って書いていたけど、彼女候補の人が例えばゆる体操の実演を見たときの人は
大半の人は引くのではないだろうか・・・・と考えてしまうのだ。
うーん、これは困ったゾ。
であれば、上記の悩みを解決する自分のできることはなんだろうか。
些細な事でもいいので、自分がゆる体操で得たものを言語化する。
そしてそれを発表する。その数をドンドンと増やす。
発表することに慣れる。
これだろうな。うん。
・・・という訳で、これからは、このnoteにどれだけ
ゆる体操で自分が変わったかを書いてみよう。
(さて、どこまでつづくかな)