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【連載小説】「きみの手、ばりきれい」#14-1

 明坂による計画的奇襲から、一夜が明けた。

 午後には「東洋美術史」の講義が一コマだけ入っているが、午前は特に予定はなかった。結局、明け方まで問題集に取り組む羽目になった。そして午後の講義のために仮眠をとろうと思い、目覚ましのアラームを十一時にセットして、布団を頭からかぶり、安らかな眠りについた……はずなのだが、しばらくウトウトと微睡んでいたとき、枕元で呼び出しのバイブレーションがけたたましく鳴り響いた。

 俺は飛び起きて、充電中のスマートフォンをコードから引っこ抜いた。急いでロック画面を確認すると、画面中央にオリターの先輩の名前と電話番号があった。

 俺は何事かと焦りながら、電話に出た。
 電話越しに先輩の優しい声が聞こえたかと思うと、「状況確認」と言われ、次いで「葵祭の行列がもうすぐ始まるが、いつ来られるか」と訊かれた。

 初め、何のことかわからなかったが、何か大事な予定が入っていたのだと直感し、「すぐに行く」とだけ伝えて電話を切った。現在の時刻を確認すると、九時を過ぎていた。

 速攻で服を着替え、急ピッチで支度を済ますと、鞄を抱えて下宿を飛び出した。歩きながら端末を片手に行き方と路線を調べ、初めて乗る京阪電車の駅から京津線で三条まで行き、京阪本線に乗り換えて出町柳まで出向いた。

 改札をすり抜けるように通って駅舎を出る。すると車道を挟んで眼前を鴨川が流れ、加茂川かもがわと高野川の合流地点、いわゆる鴨川デルタが望める。

 合流する前の高野川に架かる河合橋を渡り、川沿いを通る下鴨しもがも東通に入った。白塀に沿って歩を進めると、「加茂御祖神社」と彫られた、三メートルはあろうかという巨大な石標が見えた。その向こうに目をやると、真紅の立派な鳥居が屹立している。
 その鳥居の傍らに立っている京都タワーに俺は目を留めた。見覚えのある黄色いジャンパーを着た長身の男は、尾倉に違いないと遠目からでもわかった。

 尾倉は俺が歩いてくるのを認めたのか、片手を肩の高さまで上げて破顔した。

「やあ、やっと会えたよ」

「先輩は?」

「二限の講義があるからって、先に大学に帰っていった」

「俺たちは具体的に何をすればいい?」

「それをこれから相談しようとしてたところ。葵祭を取材して、役を割り振って発表の材料にしていくんだよ」

「強制参加って知らなかったんだよ。急に呼び出されたから何事かと思った」

 予定を狂わされた苛立ちも相まって、尾倉にそう迫ると、彼は困ったように眉を曲げて、首を傾げた。本当に困っているような顔だった。

「あれ? 言ってなかったっけ? 昨日、摂津さんから全員宛に事務連絡が来てたと思うけど、見なかった?」

 俺はいぶかりながらメッセージアプリを開くと、確かにグループ名の横に通知が届いていた。

「明日、葵祭の路頭の儀やけど、それぞれの持ち場に集合で大丈夫そう?」

 という疑問形のメッセージの下に、場所とメンバーの学生の名前が並んでいた。俺と尾倉の担当は下鴨神社周辺らしく、集合時間は十一時半とあった。

 葵祭は毎年五月十五日、色とりどりの装束を身にまとった一行が京都市街を練り歩き、上賀茂かみがも神社を目指す。別名、「路頭ろとうの儀」と呼ばれる行事だ。行列は午前九時半に京都御苑ぎょえんを出発し、丸太町通から河原町通を北上、加茂川に架かる出町橋を渡って、正午近くには下鴨神社に到着する。そこで諸々の儀式を執り行った後、到着から約二時間後には、下鴨神社を出てさらに北を目指し、終着点の上賀茂神社へと至るのだ。

 一切の持ち回りを摂津さんに勝手に決められた気がして、それ自体が気に食わなかったが、来てしまったということで帰るわけにもいかず、内心で切歯扼腕せっしやくわんしながら、尾倉と一緒に先程通ってきた道を引き返すことにした。時刻を見ると、行列が下鴨神社に接近するまで三十分ほど余っていた。

 河合橋から出町橋にかけて規制線が張られ、観光客でごった返していた。警備の人が規制の声を張り上げるなか、俺と尾倉はなるたけ人々を避けて、橋の袂にできた見物客の群集に混ざった。

 尾倉は自分のスマートフォンでカメラアプリを開き、それを頭の上に掲げてすでに撮影の体勢に入ろうとしている。

「資料写真は、なるべくいっぱい撮っといてって言われてるからね。君も、できるだけ多く撮っておいたほうがいいよ」

 などと言いながら尾倉は、二本の指を上下に動かし、画面を拡大したり縮小したりを入念に繰り返している。

 俺は当初、この祭りに参加するつもりなど毛頭なかったため、正直面倒に思った。第一、参加したいやつだけが参加すればいいと思っていたし、諸々の事情も手伝って、それどころではなかったからだ。
 とはいうものの、撮影を怠れば、あとで主に摂津さんからネチネチ苦言を呈されることは目に見えている。仕方なく、俺もカメラ機能を起動させた。

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