橘樹 啓人

自身の経験や価値観に基づいた小説を主に書いています。現在、京都を舞台にした小説「きみの…

橘樹 啓人

自身の経験や価値観に基づいた小説を主に書いています。現在、京都を舞台にした小説「きみの手、ばりきれい」を連載中。「小説家になろう」、Kindleなどでもオリジナル作品を投稿しています。

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【連載小説】「きみの手、ばりきれい」#15

 五月も終盤に近づくに連れ、二十五度以上の夏日が続く。梅雨前の蒸し蒸しとした時節には、ついクーラーをつけたくもなるが、電気代が嵩むと両親に申し訳ないので、六月になるまでは我慢することにした。  三限の講義が終わった後、俺はまっすぐ下宿に帰った。部屋に戻る前、エントランスにある集合ポストの中を覗き、届いた郵便物を根こそぎ掻き出した。ガス点検のお知らせや広告チラシの類のほかに、A4サイズの封筒が入っていた。気になってその場で閲すると、この間受験した模擬試験の結果だとわかった。

    • 【連載小説】「きみの手、ばりきれい」#14-3

       残りのメンバーと合流したのは、午後四時半過ぎだった。  京都御苑組の春崎さんは、首から黒い一眼レフカメラを提げている。  同じく京都御苑に割り当てられていた玉城さんは、「はぁー、疲れた。だる、もうみんなばっくれようぜ」と、とても女子とは思えないことを言った。だが、気持ちはわかる。  橋田くんはブルーライトカットの黒縁眼鏡をかけ、一見すると尾倉と同類かと思うが、彼に比して小柄で、華奢な印象を受ける。かつ物静かであり、前衛を女子二人がぺちゃくちゃお喋りしながら歩く後ろから、粛

      • 【連載小説】「きみの手、ばりきれい」#14-2

         十一時半ごろ、河原町のほうから、大行列がしめやかに漸近してきた。肝煎から始まり、騎馬の人々、白装束の人たちに囲まれ、屋根まわりを藤やら梅の花やらで飾られた牛車など……色鮮やかな装束をまとった人々が次々と現れては一様に遠ざかる。  行列の終盤に差しかかると、斎王代列が通っていっそう歓声が沸いた。斎王代というのがこの葵祭におけるメインディッシュらしい。十二単を身にまとった垂髪の女性、つまり斎王代が端座する神輿は『およよ』と呼ばれ、それを闕腋袍の姿の男たちが担ぎ上げる。この大行

        • 【連載小説】「きみの手、ばりきれい」#14-1

           明坂による計画的奇襲から、一夜が明けた。  午後には「東洋美術史」の講義が一コマだけ入っているが、午前は特に予定はなかった。結局、明け方まで問題集に取り組む羽目になった。そして午後の講義のために仮眠をとろうと思い、目覚ましのアラームを十一時にセットして、布団を頭からかぶり、安らかな眠りについた……はずなのだが、しばらくウトウトと微睡んでいたとき、枕元で呼び出しのバイブレーションがけたたましく鳴り響いた。  俺は飛び起きて、充電中のスマートフォンをコードから引っこ抜いた。

        【連載小説】「きみの手、ばりきれい」#15

          【連載小説】「きみの手、ばりきれい」13

           俺には毎晩、寝床につく前に必ず行う日課、習慣がある。股を開きながら座り、上体を前に倒して軽く伸びをした後、腹筋運動や腕立伏せをする、いわゆる筋トレである。  俺が通っていた中学校には、野山などを登りながら自然を散策したり、寺社仏閣を訪ね歩いたりして歴史に触れる、「フィールドワーク部」という名の部活動があり、俺はそこに三年間所属していた。遠出をするのは月に一度ほどに留まるが、普段の活動内容としては、学校の周囲や町内を歩いて一周したり、天候が芳しくなければ、部室で筋トレを行っ

          【連載小説】「きみの手、ばりきれい」13

          【連載小説】「きみの手、ばりきれい」#12-2

           下宿に着くと、まず廊下の明かりを点ける。六時を回って、雲はまだ燃えたように赤みを帯びているが、空はすでに藤色に染まっていた。  嫌々ではあるが、二人を招き入れた。冷蔵庫の前に片膝をついてしゃがみ、預かっていた手つかずの缶を三つ取り出して、いっぺんに明坂に押し返した。 「ほら。これでいいだろ。さっさと帰れ」  明坂はすんなりと受け取ると見るやいなや、黙ってこちらをじっと見つめる。  何だと俺が問おうとしたら、彼はニッと白い歯を覗かせて、薄気味悪いくらいの微笑で俺に笑いか

          【連載小説】「きみの手、ばりきれい」#12-2

          【連載小説】「きみの手、ばりきれい」#12-1

           読者の中には誤解している方がいるかもしれないので、念のために記しておくと、俺も好き好んでこんな放擲な生活を送っているわけではない。ちゃんと勉強しようという気はあるし、ちゃんと志望校に合格したいという気概もあるのだ。  なのに、どうして身が入らないのか? ということを疑問に思うだろう。こういうことを書いてしまうと元も子もないのは百も承知だが、つまりは集中力がないのである。これは俺が「勉強できない」という事実に直結している、極めて大きな問題、喫緊の課題にすべき問題なのだ。幼少の

          【連載小説】「きみの手、ばりきれい」#12-1

          【連載小説】「きみの手、ばりきれい」#11

           五月初旬の連休は、下宿にこもって脇目も振らず、机にかじりついていた。  帰りのバスのなか、ゴールデンウィークにどこへ行くだの、巷で話題のあのB級映画を見に行こうかだの、俺にとって心底どうでもいいことを囁き合っている学生に対し、嫉妬や悵恨の情を催したりしたものだが、あらゆる煩悩を撥ね退けてこそ、努力は結実するのだ。四月末の全国マーク模試が終わって一息つきたい欲をぐっとこらえ、休講中は勉学に専念しようと、俺は我が心に誓った。  そうやって決意したまではよかったのだが、四連休も

          【連載小説】「きみの手、ばりきれい」#11

          【連載小説】「きみの手、ばりきれい」#10

           午後十二時過ぎ、ゼミ授業がある第八棟に着いた。  個人発表で配るレジュメは行きがけに印刷するつもりだったが、立ち寄ったコンビニのプリンターにUSBを挿し込んだところ、当該ファイルの拡張子は出力対象外らしく、外部デバイスからは印刷できなかったので、俺はげんなりと肩を落としつつ大学に向かう羽目になった。  教室に入ると、前列の席でノートパソコンを開き、作業をしている摂津さんがいた。彼女のほかには、学生の姿は見えない。  集中している様子だったので、無視してそのまま席に着こうか

          【連載小説】「きみの手、ばりきれい」#10

          【連載小説】「きみの手、ばりきれい」#9-2

           集合時間はとっくに過ぎたのに、待っていても依然ほかのメンバーは一向に集まらない。さすがに少し焦燥を覚え始め、食堂の出入り口付近を振り見たところ、かなり目立つ格好で目につく動作をしているやつがいた。俺は自然と目が留まり、そいつに目を凝らした。  真黄色のジャンパーを着た、長身の男だった。それも、今しがた登山にでも行ってきたかのような大きいリュックを背負い、さらに鯉柄の風呂敷包みを抱え、それを泥棒みたく首に巻きつけている。  そんな怪しさ全開のやつが、入り口のあたりで所在なげ

          【連載小説】「きみの手、ばりきれい」#9-2

          【連載小説】「きみの手、ばりきれい」#9-1

           四限終了のチャイムが聞こえ、俺は静かに図書館を出た。明坂と落ち合うため、渋々教務棟へ向かう。  平穏だった俺の生活に暗雲が立ち込めてきた……とまでは思わないが、不穏な雰囲気が漂い始めたと感じるには十分な出来事だった。  果たして、あれは本当に偶然だったのか? 考えすぎだと笑われても仕方がない部分はあるにしても、どうも胸の中が台風接近間近の森林のごとく、ざわざわするのである。  正直、蓮実さんが本を届けてくれなかったら、彼女の部屋に置き忘れたことを、次のゼミに出席するまで

          【連載小説】「きみの手、ばりきれい」#9-1

          【連載小説】「きみの手、ばりきれい」#8

           俺個人のカリキュラムでは、午後からの授業は一コマだけだったので、四限の終わりに教務棟の前で明坂と落ち合うことになっていた。俺は三限目の『東洋美術史』の講義に出たあと、明坂との待ち合わせ時間まで、構内の図書館で時間を潰すことにした。 『地域研究』という全クラス合同の特別授業では、三つのグループに分かれ、それぞれの班で『京都三大祭』をテーマに発表しなくてはならない。この後、そのメンバーたちとの顔合わせがあった。  数日前、明坂との雑談の中で、俺がうっかりそのことを零してしまっ

          【連載小説】「きみの手、ばりきれい」#8

          【連載小説】「きみの手、ばりきれい」#7

           地下鉄山科駅の、コンビニや雑貨屋に囲まれた駅前プラザから、脇にそれて沿線の狭い道を進んでいく。一筋目の角を左に折れ、奥まった路地に入る。すると、突き当たりに五階建てのワンルームマンションがある。色合いも外観も極めて地味だが、一目見てそれとわかるほどには、マンションの体を成している。そこの五階にある一室が、俺の下宿である。  一部屋の面積は約十三帖。つまり約二十一平方メートルで、坪に換算すると六・五坪ほどである。蓮実さんの下宿と比較すると、狭く感じないこともないが、一人で生

          【連載小説】「きみの手、ばりきれい」#7

          【連載小説】「きみの手、ばりきれい」#6

           俺は、自分の進路について納得がいっていなかった。納得がいっていないというか、ほかに行きたい大学があったと言うべきか。これといって特に表立った理由はなく、俺にとって難関ならばどこでもよかったとも言える。  俺が自身の進路を語る上で、まず、俺の家族構成について触れておきたい。  高校時代までの俺は、両親と五つ年上の兄、そして父方の祖父母と一緒に、大阪高槻の実家で暮らしていた。父母ともに大学教授として別々の大学に勤務しており、兄は今年から京都にある某国立大学医学部のM1である。

          【連載小説】「きみの手、ばりきれい」#6

          【連載小説】「きみの手、ばりきれい」#5

           学生会館正面の教務棟の前には、帰宅学生による蜿蜿長蛇の列ができている。それを見て俺は、食堂でわざわざ時間潰しなどする意味のなかったことを知った。  俺は、腹の底から湧き上がる私憤を燃やし、列に並んだ。明坂の誘いを断っておけば、あと三十分ははやく帰宅できたのに、と嗟嘆しながら。  学生たちの行列は、少しずつゆっくり前に進む。本当に「少しずつ」進むのだ。  四限終わりは山科直行の便も多く、五分間隔くらいで直通バスが運行しているのだが、一向に前進しない。その原因は、ほとんど毎日

          【連載小説】「きみの手、ばりきれい」#5

          【連載小説】「きみの手、ばりきれい」#4

           四限終わり、俺は明坂と会う約束をしていたので、学生会館二階の学生食堂に行った。  天井には何のためか、正方形の鏡が何枚も連結し、それが幾何学的なジグザグ模様に嵌め込まれている。床はひし形模様のフローリングで、壁はレンガ造りとなっており、ここに学生しかいないことを除くと、西洋風の洒落た喫茶店のような構造である。  普段、俺は昼食はコンビニのパンかおにぎりで済ませることが多く、個人で食堂に行く用事もないので、来るとしたらゼミ発表の打ち合わせか、誰かに呼ばれたときくらいなもの

          【連載小説】「きみの手、ばりきれい」#4