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投稿できなかった記事

文字を入力して、BackSpaceで消去する。
そんなことを繰り返しながら何度も下書きして、その度にnoteに励まされながら、ようやくひとつの記事を仕上げることができた。
それなのに、その記事を投稿することはとうとう出来なかった。

(補足)
noteの記事をPCで下書きすると、応援のメッセージを表示してくれる。

記事の仕上がりには満足していた。
ただ、どうにも公開することに後ろ髪を引かれる思いがあった。
その理由を知るのに少しだけ時間がかかってしまった。


僕には羞恥心というものがあまりない。
それは「恥ずかしい」と思えるほど自分に誇れるような能力がないことを悲しいくらいに自覚していたから。

褒められるような人生を送ってこなかったせいか、そもそも自分が出来る人間だと思っていない。常に「出来ない」が前提にあるから、失敗することや知らないことを恥だと思わないのだろう。

だから失敗談をすることに抵抗はないし、弱さをみせることだってある。
(素直になれないときもあるのだけど...)

そもそも、自分を見せることや弱さを見せることに抵抗がないからnoteに記事が投稿できているのかもしれない。

そんな僕でも投稿することに躊躇してしまったのだった。
あの記事だけは...


先日読んだ本の中に、こんな言葉があった。

そして私の経験上一番手軽で一番大事だと思えたのは、「本当に大事なことは、誰にも言わない」というルールを作ることでした。

これは、戸田真琴さんの著書「あなたの孤独は美しい」の一文である。
この後には以下のような文章がある。

本当に大事な感情や、特別な作品や場所との出会い、幸福な出来事は、純度を保った自分だけの宝物として誰にも見せずにしまっておくことで、いつまでも立ち返ることのできる自分だけの孤独な幸福になります。

初めてこの文章を読んだたとき、どこか腑に落ちないけれど妙に気になってしまい、このページにオレンジ色の付箋を貼った。

羞恥心のない僕には隠すほどのものなんてない、そう思っていたから理解できなかったのだろう。
しかし、今になってこの言葉が身に染みた。
投稿することのできなかった記事こそ正しく僕にとって「本当に大事な感情」で「誰にも見せずにしまっておく」べきものなのだと。

その記事が誰かの目に触れてしまうことで自分の中の何かが色あせてしまうのではないかという想いがあることに気付くことができた。

そして、それを「孤独な幸福」と表現した戸田真琴さんの感性に改めて魅入られている自分がいることにも気付いてしまったのだった。


考えや想い、経験したことを文字に起こすとき、自分のことを再発見することが往々にしてある。

でも、その全てをSNSで発信する必要はない。
頑張った書いた文章で誰かから「いいね!」は貰えるかもしれないけれど、それと引き換えに自分の中の何かが色あせてしまうのは勿体無いことなのかもしれない。

「あえて自分の中に留めておく。」
それもSNSが発展した今だからこそ大切なことなのだと一冊の本を通して知ることができた。

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K.taguchi
いつも読んでいただき、本当にありがとうございます。

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