![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/139099512/rectangle_large_type_2_ba3e157ac8b29ab1e257f1d4743de811.jpeg?width=1200)
「棚上げ力」に感じるモヤモヤ
『棚上げ力』という言葉があります。
あまりポピュラーではありませんが、人財育成の場面などで、比較的ポジティブな意味合いで使われます。
「上司や経営者は、時に自分のことを棚に上げてでも、部下の成長をうながす注意をするべきだ」と。
賛否両論あるでしょうが、わたしはこの考え方には、モヤモヤするものを感じます。
「上司自身もやろうと努力している(あるいは、その難しさを理解している)ことを、部下にもうながす」のであれば納得感があるのですが、自分に対しては現状維持でOKなのに、人にだけ注意をするのは『立場』の利用が激しいと感じるからです。
いや、別に何かがあったわけではありません 😊
ふと、「自分のことを棚上げする人っているよなぁ」と思い、試しに『棚上げ力』という単語で検索してみたら、思いのほかポジティブな記事が並んでいて驚いた次第。
もちろん、誰にでも得手・不得手はありますし、「すべてのことに秀でなさい」という話ではありません。
運動が苦手な人が、スポーツチームの監督をすることだってあるでしょう。
しかし、そういう場合には『適材適所』とか『得意なところを伸ばす』、あるいは『好きこそものの上手なれ』といった表現が使われると思うんですよね。
わたしがモヤモヤするのは、『棚上げ力』という言葉に「自分の不得手を隠そうとする」小ズルさを感じるからなのかもしれません。
ともあれ・・・