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49/フィクションとしての宇宙へ
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【記事のポイント】1977年はSF映画の年でした。3本の記念碑的な映画の公開があり、その夏は『宇宙』が近くに感じられたものです。『宇宙戦艦ヤマト』『スターウォーズ』『未知との遭遇』・・・
第5章/8. 1977年と新しい宇宙
1977年は、宇宙への幻想がふくらんだ年でした。
現実面では、ソ連の宇宙船ソユーズとのドッキングをもって、2年前の1975年にアポロ計画は終わりを告げていました。
意固地なほど人類の宇宙進出にこだわったアメリカの熱病は一旦沈静化したのです。
再びそのフロンティア・スピリットが燃え上がるのは、スペースシャトルが打ち上げられる1981年を待たなければなりません。
それまでノンフィクションの宇宙は、フィクションの宇宙に、すっかり席をゆずることになりました。
まるで熱病の沈静期間を穴埋めするかのように、荒唐無稽な宇宙への夢が、次々と生産され始めるのです。
別の言い方をすれば、ひとたび覚えてしまった「宇宙」という強烈な麻薬を、誰もが切らさないようにしたかったかのようでした。
『カプリコン1』は、その転換期にあらわれた象徴的映画だったと言えるでしょう。
第4章では月面着陸を地球上での撮影とする説に触れましたが、『カプリコン1』はこれにヒントを得て作られた、有人火星探査をセット撮影ででっちあげるという物語でした。
アポロ計画への懐疑は、誠実な技術者に対する無礼さをともなうために、どうも歯切れがよろしくありません。
が、話が最初からフィクションならば、そのキッチュな陰謀作術は存分に楽しめます。
ノンフィクションとフィクションの間をぬった、絶妙な着眼点だったと言えます。
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