『時代性』というアトラクション
同郷であることの喜びが『同じ場所に育ったこと』だとすれば、同時代を生きた喜びは『同じ時間を共有したこと』です。
どちらも共同体意識に結びつく、暖かい気持ちと言えるでしょう。
ただし、両者には違いもあって、空間が限定的なのに対して、時間は無限に共有できます。
厳密に言えば、『同郷』というのは同じ地名の場所で育ったということであり、土地自体を共有しているわけではありません。
一方、『同時代』性はすべての人に例外なく共有されます。
わたしたちは大谷翔平さんが活躍している時代を生きていますが、その記憶は万人に開かれています。
つまり、空間がパイの取り合いになりがちなのに対して、時間は平和的。
よく「誰もが同じように24時間を持っている」と言ったりしますが、そこにも平等性を見ることができます。
ちなみに、わたしはいつの頃からか、「長生きしたいなぁ」と思うようになりました。
その希望は、「長く生きれば、それだけたくさんの変化を体験できそうだ」という期待に根ざしています。
「人生という遊園地で、いろんなアトラクションに乗りたいなぁ」と。
そんな風に考えるようになったのです。
たとえば、わたしが小さい頃には、まだビデオデッキがありませんでした。
テレビ番組は一回性に深く結びついていて、見逃したら、その映像を見ることはほぼ不可能でした。
それが、(1975年の)ビデオの登場によって、好きな時に好きな番組を見られるようになった。
それは『ビデオのない時代』と『ビデオのある時代』という2種類のアトラクションに乗れた感覚と言えます。
もしかしたら、いずれ『ビデオの中に入れる時代』とか『失われた映像すら再現できる時代』なんてのが来るかもしれません。
新種の絶叫マシンという感じでしょうか。
だって、きっとそんな体験ができたら、叫んでしまうはずなので 😊
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