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「美しい」か「おもしろい」かを選ぶこと

昨日、山﨑曜さんの記事を拝読し、コメントをしながら「自分は今、美しいとおもしろいの両方に軸足を置いているなぁ」と思いました。
山﨑さんの記事はこちらです ▼▼▼


いきなり大きな風呂敷を広げる感じですが、20世紀までは「あれか、これか」の二元論が主流でした。
それが今では「あれも、これも」になっていますよね。
多様性。
かつてはリソースが少ないために必ずどちらかを選ばなければならなかったところ、今では両方を選べるようになりました。

「パンがなければ、お菓子を食べればいいんじゃない」になぞらえて言えば、パンもお菓子も食べられる感じかな。
もちろん、すべての人がそうなれているわけではなく、あくまで時代の傾向としての話です。
貧困の問題は、そうした傾向とは別に確固として存在しています。


ともあれ、「みかんとりんごのどちらにする?」と聞かれた際に、「両方ちょうだい」というのは20世紀には御法度でした。
それが今では、「どちらも欲しい」「どっちもいらない」を、ひとまず言えるようになった感じ。

美術の歴史においても、長い間人類は『美しい』ことに価値を置いていましたが、ピカソやマルセル・デュシャンの時代になると『おもしろい』ことに比重がかけられるようになりました。
美しいことにはある種の窮屈さがあるので、それが嫌われた感じです。
ただし、20世紀は二元論の時代。
『美しい』『おもしろい』かのどちらかを選ばなければなりませんでした。

たとえば、以下はどちらもピカソの絵ですが、Aを好む人はBを嫌い、Bを好む人はAを退屈な作品と捉えていました。


A:古典主義的な作品
B:前衛的な作品


同じ作家の作品ですから、それらの嗜好の偏りは、今となっては「思議なことだなぁ」とも思います。

いずれにせよ、現在は「AもBもいいよね」という風潮になりました。
美しいこともいいし、おもしろいこともいい。
その大らかさは、時代の恩寵なのだと思います。


そろっていることは美しく、違っていることはおもしろい 😊

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