「最適化社会/サイニック理論」について
昨日は、noter 仲間の池 辰彦さんが登壇されるイベントに行ってきました。
池さんは日本小売業協会の運営自体にも関わっていらっしゃり、その取り組みをとてもわかりやすくご説明してくださいました。
そのあたり、ご自身でも記事にしていらっしゃいますので、ぜひご一読ください。
セミナーは4人の講師が登壇され、とても有益でしたが、個人的には落合陽一さんのお話に大きな刺激を受けました。
なにしろ、のっけから『サイニック理論』がテーマだったからです 😊
落合さんは『デジタル・ネイチャー(=十分に発達した計算機群は、自然と見分けがつかない)』というイメージを掲げていらっしゃいますが、その状態はサイニック理論で提唱された『自燃社会』のさらに先にあるとのこと。
というのは、『社会』という名称がつく状態は未だ人間のコントロールが残っていますが、『デジタル・ネイチャー』とは機械まで含めての『自然』それ自体だからです。
ちなみに、冒頭、落合さんが「この中で、サイニック理論をご存知の方はどれくらいいらっしゃいますか?」と尋ねたところ、5%ほど(70名の会場で3〜4人)でした。
まだまだ一部の人にしか知られていない感じですね > サイニック理論
話題はやがて、2016年あたりからのAIの爆発的な進化に。
現在では、毎月数百のAIサービスがリリースされているそうです。
ざっと、毎月10%づつくらい、AIは賢くなっている印象とのこと。
一方で、ごく一部の人しかその進化をキャッチできておらず、人間の側はそのままの状態に留まっています。
「その乖離が問題でしょうね」と指摘されていました。
同感です。
ただし、わたしはもう少し穏便な進歩主義者です。
何故なら、原理的に全員が同じ速度で情報をキャッチできるわけではありませんし、「技術進化を享受したい/楽しみたい」という度合いも人によって様々だからです。
極端な例を出せば、世界にはアーミッシュのように18世紀の状態から『進歩しない』ことを選択した人たちもいます。
アーミッシュは宗教的信念をもって18世紀の生活を続けているわけですが、それとはまた違った理由で「今後は20世紀的な生き方や21世紀的な生き方を選択する人に分かれていくだろう」と、わたしは考えています。
違った理由というのは、『進化についていけない』あるいは『自分が育った時代性が好き』といったこと。
たとえば勝負にこだわる人は、善い悪いは別にして20世紀的ですよね 😊
サイニック理論では、現在を『最適化社会』としていますが、この『最適化』というのはやや解釈の難しい名称です。
というのも、人類はたくさんの課題をかかえているため、「とても最適化しているようには感じられない」というのが、多くの人が受ける第一印象だからです。
しかし、わたしは「それぞれの人がそれぞれに好む時代性を選択する社会」が『最適化』の意味するところではないか、と考えています。
もし何らかの状態に一元的に統一されるのであれば、それは多様性の放棄であり、各自にとっての『最適化』ではないからです。
大きな時代の流れの相似形が、小さな集団や個人の中につくられる状態。
つまり、『フラクタル構造』こそ最適化のキーワードだと(今のところ)考えています。
『トラスト・プロジェクト』は、画像生成AIを使って未来のヴィジョンを描き出し、共有する企画です。
明るく、幸せな未来を思い描くことで、その景色を引き寄せます。
概要解説のnote記事はこちらです ▼▼▼
早く行きたいなら一人で行け
遠くへ行きたいならみんなで行け
みんなで行くには進め方が大切ですね 😊