すべての人は最善をつくしてる
コツコツと努力して諦めずに能力を上げた人たち。メダルをとるような。
手応えを感じることがあったのだと思います。
手応えを感じない人たちもいて、やればやるほど悪くなることも。
そんな人たちは、頑張らなかったから成功しなかったと思われる。
でも、そうだろうか?
すへではメンタルやマインドで決まるのだろうか?
すべてはマインドの違いだというのは、苛ついた講師の視点だと思う。
マインドやメンタルを正したり鍛えたりすると人生がうまくいくというのは全ての人に当てはまらないと思う。当てはまる人もいるから、それが全ての人に押し付けられる。
もし、それが本当ならば、成果に達しなかった人は、自業自得だから苦しんでよし、幸せにならなくてよし、ってことになっている。
実際にそんな意見は日常にあふれている。
心が弱いといわれてる人は、あまっちょろく育てられたと思われていて、厳しい環境が必要だと思われている。
ところが、そんなふうに見下している人よりも過酷な経験をしていることが多い。
そんな前提の世界観の私でも、心の問題を解決する支援をして、チャレンジしない人があることにガッカリする気持ちを持ったこともあります。
でも、それにはそれなりの事情がある。
ある人が「すべての人は最善をつくしてる」と言いました。
そうなのかもしれないと思いました。
自業自得であっても、最善をつくしていないわけではないのかもしれない。
私はいろんな人の目が見えてしまう。
負けた人は滅びて消えるのがよいのだろうか? 社会はそうだとも言っている。
私には同時にいくつかの視点がみえて、それは私をひきさく。
素晴らしい人がいて。素晴らしくない人が捨てられる、正される、なんてこの世が嫌い。
素晴らしい人がいて。素晴らしくない人が正されなくてすむ。素晴らしくなくても捨てられない。そんな気配が好き。