見出し画像

「美しく」どころではないのだけれど

2024年12月。
年末の恒例?行事、(一社)E.Cオーシャンズさん主催の海洋ゴミ回収体験事業「鬼ごみ拾い」に参加しました。
E.Cオーシャンズさんは、船舶や潜水の資格をもつ方々が集まり、陸路ではたどり着けないような険しい海岸や無人島への漂着ゴミを回収しつつ、海洋ゴミ問題の改善に取り組む団体。
年に数回、比較的危険度の低い海岸で会員以外も参加可能なゴミ拾いイベントを行っておられます。

今回は12月13日~15日の日程で行われ、私は1日目のみ参加しました。
ゴミを拾った場所は、八幡浜市の無人島・佐島。
夏はマムシが多く危険で、冬にしかゴミ回収に来られないそうです。
E.Cオーシャンズさんの船に乗って島に渡り、15人ほどで約2時間のゴミ拾い。
2tトラック2杯分のゴミを回収しました。

佐島の海岸にて

3日間の日程が終わった数日後、地元の地方紙である愛媛新聞に今回の「鬼ごみ拾い」についての記事が掲載されました。
見出しは「ごみ拾い 海岸美しく」
この文言に、私は違和感を覚えました。

2024年12月20日付愛媛新聞朝刊(電子版)より

長年に渡って島に漂着し続けてきたゴミたち。
浜では砂や蔦と絡まり合って層を成し、発泡スチロールなどの軽いものは森の中にまで入り込み、いくら拾っても減ったように思えないほど溜まっています。
2時間程度の作業では「美しく」なったとはとても言えず、E.Cオーシャンズ代表の岩田さんが冗談めかして「達成感の無いゴミ拾い」と表現するほど。
それでも「拾った分は減ったから」と鼓舞されながら活動を続けていらっしゃるのですが、拾う一方で漂着も続くため、海岸からゴミが一掃される日は果たしていつになるのやら。
そんな実態に対して「ごみ拾い 海岸美しく」という見出しに、何とも言えない感情を抱きます。

佐島の森の中に積もる発泡スチロール

私としては、このゴミ拾いには「大量消費社会の尻ぬぐい」のつもりで参加していました。
大量にモノを作り、大量に捨てる私たちの社会。
日々使うモノや口にする食品が作られ、流通する過程においては、意図的かどうかにかかわらず、正規の回収に乗らないゴミも大量に生まれます。
この社会に生きる以上、私も海岸に溜まっていくゴミと無関係ではありません。
ゴミの発生に関わることの責任を取る機会として、その回収作業に従事できることをありがたく思いながら今回のゴミ拾いに参加しました。
「善意」というよりも「贖罪」に近い感覚です。

しかし新聞記事の見出しもこんな論調だと、読む方から反感を買ってしまうのかもしれません。
「ごみ拾い 海岸美しく」くらいにしておく方が、活動の認知を拡げて関心を呼ぶためには有効なのでしょうか。
耳に痛い言葉は、伝わりにくいのでしょうか。


↓過去の参加体験談


いいなと思ったら応援しよう!