その生産性向上は、誰の幸せですか?
「データ分析×人×ビジネス」の軸で記事を書いています。
今日は過去に自分が書いたメモの紹介です:
効率化や生産性向上というのは、確かに利益をもたらす。しかし本来こういうのは「たった一人のために全力投球したい」という思いが根底にある。それによって幸せになってくれる人を、もっと増やしたいという結果として効率化や生産性向上が実現されるようでなければ意味がない。もしそれが崩れれば、たとえ利益が出ても従業員も顧客も、どちらも不幸になるだろう。こうならないためにも、初めて出した店で、初めて買ってくれた顧客に対して感じた幸福感を忘れてはならない。
あなたは(自分は)うれしいのか?という根本的な問いかけ
これからいう事は「利益を出す」という点においては、きれいごとかもしれません。しかし、年に一度とかの頻度でも、たまに気に留めるべきことではあると思っています。
例えば、あなた(自分)が飲食でも食品スーパーでも何でもいいのですが、お店を出したとします。オープン日までに色々と準備をして、ようやくオープン当日を迎えます。そして最初に来てくれたお客様に対して、おそらくこれ以上ないくらい「いらっしゃいませ!」と迎えるはずです。その時の気持ちのうれしさといったら、それは形容できないくらいのうれしさなのではないでしょうか? ※逆にそうでなかったら、苦労してまでお店を開かない方がよいかもしれない、、
ここまで大げさでなくても、例えば子供の頃に親のために工作をして、折り紙でも粘土でも絵でもいいのですが、それを親に渡して喜んでもらったことがある人も多いのではないでしょうか。きっと子供として親に喜んでもらう以上の喜びはないのだと思います。(書いといて私自身はそういう記憶があまりないのですが)
要するに「誰かに喜んでもらえたら嬉しい」というシンプルな気持ちのことです。
もっとも原始的なビジネスは、漁師が魚を獲り、農家が野菜を育て、それをお互いに交換する(=物々交換)といったものです。この際、漁師の立場で「あなたのくれた魚は美味しかったよ」といってもらえれば、うれしいはずです。それを言われると、今度はもっといい魚を獲ろうと頑張る。なんなら、特に損得勘定なく「少し多く獲れたからお裾分け」ということもしたくなるものです。
相手に喜んでほしいという気持ちが、より多くの人に届けたいという気持ちになるか?
かっこよく「ビジネス拡大」とか、もっとキザな言い方をすれば「ビジネスデベロップメント」とか、呼び方は何でもいいと思います。大切なのは1人より2人、3人より4人、・・・といったように一人でも多くの人に喜んでほしい(漁師なら美味しい魚を食べてほしい)という結果としてビジネスの拡大というのは起きるものです。
ところが最近はビジネス拡大の根本にあるものを失念し、そもそも「最初から大きなパイをとる」みたいなところからスタートしてしまう事業も多いのでは?と思うことがあります。
これは社内の業務を自動化するみたいな話でも同じで、1つもうまくいった事例(経験)がないのに、最初から自動化するのが当たり前だといわんばかりに自動化を目指すケースが散見されます。換言すれば自動化という結果から逆引きで業務を固めてしまうとでも言いましょうか。よく言われる手段が目的化するというのは、こういうマインドが根底にあるから起きてしまうのかもしれません。
だから私は最初から10万ユーザーを狙うみたいな考え方ではなくて、まずは1人の人にサービスを使ってもらうことを重視すべきだと思っています。その人を満足させられたら、次にもう1人、さらにもう2人といったように、小さな積み上げを繰り返すということです。その結果として、将来のどこかで10万ユーザーの獲得、満足、といったところにつながるだけだと思うのです。 ※とはいえ、現実にこういうのは「甘い」考えだと思いますし、実際のところ「うまくやる方法」というのはあります。冒頭に述べたように、こういう「きれいごと」だけではいけません。振り返る機会が必要だということです。
効率化や生産性向上は「したい!」と思ってからすべきもの
こうした考えに従うと、きっと以下のような気持ちにいずれかのタイミングでなるはずです。
最近はお客さんも増えてきて、段々と気配りするのが難しくなってきたな。
どうもここのところ品切れが続いて、買えずに帰ってしまうお客さんが増えたな。
このままではよくないな。もっと来てくれるみんなに、最初の頃と同じように満足して帰ってもらいたいな。
こういう気持ちがあるから効率性を上げないといけないのです。利益を出すためのとか、ラクをするために効率性を求めてはいけない。効率化してラクになったとしても、それは「より多くの人に今のサービスを提供する」か、もしくは「今のお客さんにもっと満足してもらう」かのどちらかが根本になければいけません。
繰り返しになりますが、「利益率が下がっているから、うちも生産性を向上させなければならない」とか、「そろそろ定年退職者も増えたし、新卒採用も中途採用も厳しいから生産性の向上を目指そう」というのは、経営者としては(恐れ多くも、言葉を選ばずにいうと)三流でしょう。
経営者も現場も、両方とも「その会社でお客様にサービスを提供する一人」であるならば、「もっと来てくれるみんなに、最初の頃と同じように満足して帰ってもらいたいな」という気持ちがなければいけません。この根本思想がないままに利益追求するのは、商人として失格だと思います。 ※これも繰り返し述べますが「想い」と「現実」は違うので、こんなきれいごとだけで経営できるほど甘いものではありません。気に留める機会をもつことを忘れてはならないという話です。
今、あなたは「お客様の喜ぶ姿をみて、うれしい」と感じているか?
最もシンプルだけど大切なことだと思います。例えば、ここ1ヶ月を振り返ってお客様(社内の間接業務であっても、仕事で相対する誰かでいい)が喜ぶ姿をみているでしょうか? そして、その姿をみて、自分自身が「よかった」とうれしくなったことはあったでしょうか?
どんな仕事でもいいと思います。この気持ちを実感できない場合、やはり何かがうまくいっていない証拠なのだと思います。売上や利益よりも、まず全ての前提としてこれが成り立っているか? 仮に多くの売上・利益を生み出せていたとしても、この前提が成り立っていない場合、どこかしら充実感みたいなものも失っていく可能性が高いです。
結局のところ「人一人ができることに、大したことはない」と過去色んな人がいっているように、だとしたら「小さなことでもいいから、良いことをして相手を喜ばせる」これを100人、1000人、1万人とやった人が幸せになっていくのではないでしょうか。
相手を幸せにした分だけ、自分が幸せになれる。
たまにはこういうきれいごとを信じてみれるような、心の寛大さを忘れてはいけないと思うのです。