利益を超えた充実と可能性を開くための思考法
「データ分析×人×ビジネス」の軸で記事を書いています。
今日は、最近書き留めたメモを紹介しようと思います。
最初の1週間の直感が大事
3ヶ月は信じて身を委ねてみる
さらに3ヶ月で自分を出してみる
それでダメならスッパリ諦めるのも一手
私は今どきの転職事情のなかでは少ない方かもしれませんが、4回くらい転職をしたことがあります。そのうち2回は「半年で辞めている」のです。逆に別の2回は5年以上続いています。しかも不思議なことに、物理的にも精神的にも大変だった会社の方が長く続いているんですね。何が違いかと思い返すと、最初の1週間、つまり研修を受ける際に強烈な違和感というか「メンドクセーな」に近い思いを抱いた記憶があります。たぶんこれは生理的に合わないというのに近い感覚かもしれません。
職場以外の話でも、長く続くものとそうでないものを棚卸して考えてみると、大体こういう共通ルールがあることに気づきました。だから最初の1週間で自分がどういう気持ちになるのかという直感は、意外とバカにできないというように思えます。
付け加えると、最初の3ヶ月に「新しいやり方にまずは慣れよう」みたいな感じで身をゆだねてみるのですが、やはりどうにもうまく回らない。それをさらに3ヶ月続けて「もう一度がんばって意思表示してみよう」としても、やはり空振りに終わる。もうこういうのは頑張る必要ないと思うのです。こういう場合、やはり人と人との価値観的な相性であったり、コミュニケーションスタイルであったり、何かが根本的に「合っていない」のだと思います。
何のために「辛抱して頑張るのか」と考えたときに、それは自分の成長であったり、何か大きな目的のために辛抱するのであって「その環境になじむためではない」わけです。そういうときは、もう合わないと思って諦めた方がいいこともあるのです。
センスとは圧倒的な知識の量と経験の数の積み上げ
一言で「センス」とか「才能」というのは簡単ですが、これはちゃんと要素分解できるものだと思っています。センス=知識+経験です。
ただ、経験というのは時間的なものであったり、偶発的な要素もあるので一概に自分でコントロールできるものではなかったりします。例えば、たまたまいい人に出会って学べたとか、いいプロジェクトにアサインされたとかです。
一方で知識吸収というのは書籍でできます。これは自分一人の力でコントロールできるものですから、やらない手はありません。また、日常生活でも色んな所にアンテナをはって、なんでも疑問に思ってみる。それに対して自分なりに考えて仮説を立ててみる。こういうものでも経験をつむというのに貢献できます。
いずれにしても「時間がかかる」のには間違いありません。ただ、だからこそ誰にも模倣不能なものとして「センス」で勝敗がつく(タレントとしての競合優位性が示せる)のだと思います。
頑張って100点取るよりも、ラクして60-70点を継続させる方がいいときもある
100点を取るのは難しいですし、重要なことだと思います。極端なことをいえばオリンピックで金メダルを取るというのは、スポーツにおいては100点満点といえる出来事でしょう。しかし、より長期で考えると銅メダルを3回連続で獲得する(4年に一度なので12年も連続してオリンピックという舞台に立ち続け、実績をつめている)というのは、これはこれで1回の金メダル獲得よりもすごいという側面があります。なんなら、一生そのスポーツで「飯を食う=仕事として成り立たせる」というのは、もっとすごいことかもしれません。
これは極端な話ですが、会社での昇進などを例にあげてみてもいいかもしれません。一般的な役職として係長→課長→部長→・・・と職位をあげていくことはすごいことです。ある意味で常に100点を取り続けているのに近いといえそうです。とはいえ、係長どまりでも(言い方わるくなってしまうのですが)ほどほどに仕事をこなして好きなことをして生きる人と、部長になったけど仕事に追われてつまらないと閉塞感に明け暮れる人とでどっちがいいか?と考えると、これはなかなか難しい問題です。
これは年収とかでもそうなのですが、年収=売上を上げても、儲からない=利益率が低いのでは意味がありません。よくあるのは年収1000万円もらっていても、家に帰れないほど忙しく病気になってしまうようなケースです。これはほとんど利益を得ていないのに等しいんですね。これも「何をもってして利益か」ということもありますが、自分にとって大切なことをやる時間を最大化する(自己内利益)という考え方をもつといいかもしれません。
人生の糧になることをどれだけできてるか?
回数を重ねて非効率(無駄が多く)でも、自分なりに試行錯誤し、工夫してできた喜びというのもある。
効率よくできることも大切だが、それが自分の人生の糧になっていなければ、何のために効率のよい仕組みをつくったのか?
何だかんだいっても「いい人生」を送ることがいいと思うのです。ある何かしらの外的基準があり、それに照らし合わせて考えたら、必ず成功か失敗というのがあります。例えば、年収という外的基準を置いたら、800万以上で成功、それ未満は失敗などと考えてしまいがちです。でもそれにどんな意味があるでしょうか?
儲からなくても人の役に立ててうれしいと思える仕事もたくさんあります。
どう感じるかは人それぞれなのですが、非効率でも「自分なりに工夫してやるのが楽しい」というのも重要です。そういう工夫が誰かに認めてもらえた時、やっぱりそれはうれしいでしょう。しかし、工夫せずに(極端な話誰かの模倣をして)儲かっちゃったとしても、それはそれで金銭的にはうれしいですが、より大きな喜びをえられるか?と考えると少しあやしいでしょう。
わかりやすくいえば「失敗したけど/人には認められなかったけど/なんの役にも立たなかったけど/無駄になっちゃったけど・・・楽しい!」というのが自分の糧になるのではないでしょうか。
細かいことにこだわるのは重要だが、こだわり過ぎると可能性を失う
仕様ではなく用途か抽象的なものを軸に選ぶ
ジーンズに「ジップフライ」と「ボタンフライ」というのがあります。ジップフライというのはチャック(ファスナー)で開け閉めするやつのことです。ボタンフライというのは、それがボタンのやつです。
私はジーンズマニア(古いジーンズを集めるとかそういうのではありません)なのですが、ジップフライはメンドウだから買わないと決めていた時期がありました。実際のところ、ジップフライの方がいいと今でも思っています。しかし、一度何かのきっかけでボタンフライのジーンズを買ったら、メンドウではあるものの「はけなくはない」と思ったんです。
それから、ボタンフライであることを気にしないようにしたら、以前よりも自分がより履きたいジーンズに出会えることが増えました。これはジップフライにこだわっていたら、なかった出会いです。
ジーンズ以外でも「少し慣習的な考えや視点を変えてみる」ことで、出会いのチャンスが増える可能性があるのではないでしょうか。