ふと手に取った一冊の数行『女のいない男たち』ドライブ・マイ・カー 村上春樹著
短編集の冒頭の作品。
久しぶりに村上春樹さんの小説を読みました。内容は、死んだ妻の過去数回に及ぶ浮気の原因について何とか解明したいと悩む主人公の話。
因みに、ひろゆきさんもYouTubeで、妻に浮気されたら、悲しいよりもなぜ浮気したのかの理由に興味ある、と、言っていました。この作品の主人公とは温度差がありますが、私もひろゆきさん側の感覚だと思いました。
(妻はいないので妄想ですが、、)
さて、内容とは離れますが、個人的に興味があった数行。
二日後の午後二時には、黄色のサーブ900コンバーティブルは修理を終えられていた。(略)家福はもう十二年そのサーブに乗り続け、走行距離も十万キロを越えている。キャンバスの屋根もだんだんくたびれてきた。強い雨の降る日には隙間の水漏れを気にする必要がある。しかし今のところ新車に買い換えるつもりはない。これまで大きなトラブルは皆無だったし、何よりも彼はその車に個人的な愛着をもっていた。冬でも夏でも、車の屋根を開けて運転するのが好きだった。冬には分厚いコートを着てマフラーを首に巻き、夏には帽子をかぶって濃いサングラスをかけ、ハンドルを握った。シフトの上げ下げを楽しみながら都内の道路を移動し、信号待ちのあいだにのんびり空を眺めた。流れる雲や、電線にとまった鳥たちを観察する。そういうのが彼の生活スタイルの欠かせない一部になっていた。
料理を美味しそうに描写する作家がいるように、個人的には、村上春樹さんの描く車に魅力を感じます。『ダンス・ダンス・ダンス』のなかに出てきたマセラティも(当時メジャーな車ではなかったので、まだ見たこともなかったですが)、憧れを抱いた記憶があります。余談ですが、『ダンス・ダンス・ダンス』を読んで数年後、南青山のガススタで当時の型のマセラティに乗ったジロラモさんを見かけました。"チョイ悪"の少し前のことでしたが格好よかったです。
『ダンス・ダンス・ダンス』の作品内では、マセラティの持ち主は、車で海に飛び込んで自殺します。「なんでマセラティで」(もったいない、みたいなニュアンスの)セリフがあったような気がします。派手に描かれた人物ではなかったですが、そのエピソードで作品世界でのその人物の魅力的輪郭が増しているような気がしました。
『ドライブ・マイ・カー』では、引用した部分にもあるように、SAABという車が、妻の死で変化した主人公の生活と共にありました。
残念ながら、スウェーデンにあったSAABは本社は倒産、他の自動車メーカーの子会社化した後、現在では、サーブブランド自体も消滅しています。
(貧相な)個人的なことで話を終えますが、都内は駐車場代も高く車を所有する生活ができるころには電気自動車がメインの時代になっているかと思います。
憧れるような電気自動車が生まれることを期待しているところです。
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