交換できますか?
今回は続きのテーマではないのですが、SNSで時々目に付くので、考えてみたいと思います。それは、「掛け算の入れ替え問題」。
数年前から、小学校の算数で、例えば
「50円のお菓子を6個買ったら、合計でいくらになりますか?」
のような問題があったとき、
50×6 = 300
は当然正解だけど、
6×50 = 300
とすると不正解とされる事について、論争になっているらしいです。
調べてみると、多くの教員向けのマニュアルにはそう書かれているらしいのです。
確かに、算数や数学は中学校までで実質終わりっていう大半の人にとっては、
「順序を入れ替えただけで不正解」
というのは納得いかないと思います。ただ、これを単純に
「入れ替えても結果が同じだからOK」
っていう教育が妥当かどうかは疑問です。
●それは入れ替えられる計算?
ここで、以下の問題を考えてみましょう。
「300円でお菓子を6個買いました、1個あたりいくらですか?」
これは、
300 ÷ 6 = 50
という計算一択で、これを最初の問題のように、
6 ÷ 300
と出来ないのはわかると思います。しかし、もし上の問題で入れ替えた計算を「無条件で」正解にしてしまうと、計算を初めて習う子供は、
「"50 × 6"と"6 × 50"は同じ」
と覚える可能性があり、
「"300 ÷ 6"と"6 ÷ 300”は何で同じではないのか?」
と思うかもしれません。
「そんなの掛け算と割り算は違うと教えればいいじゃないか」
と言うかも知れません。しかし、ちょっと学習が進んで分数が出てくると、
掛け算と割り算が変換可能
になるのです。それなのに、この入れ替え問題だけのために
「掛け算と割り算は全く違う」(※1)
という余計な情報を、習い始めの時にインプットするのは、その後の学習に障害になりかねないのです。
では、この割り算を入れ替え可能にするにはどうしたらいいでしょうか。
これは、
300 ÷ 6 = 300 × (1/6)
とすれば掛け算になり、入れ替え可能になります。
一般に、a, bの2つの数値として分数の範囲に拡張すれば、乗算も除算も
ab
と表す事ができ、掛け算と割り算は区別する必要がありません。これは、
a + b
の計算で、a, bともに負の数まで考慮すれば、足し算と引き算の区別をする必要が無いのと同じです。
「入れ替え可能」であることを教えるのなら、一緒に教える必要があるでしょう。
●単位がついた数の場合
上に挙げた問題では、数に「円」や「個」などの「単位」がついています。なので、正確に式を書くのであれば、
50[円]×6[個] = 300[円]
となります。これを、
6[円]×50[個] = 300[円]
としてしまったら、さすがに正解にできないことは納得して頂けると思います。
つまり、
単位がついた計算を入れ替える場合は、単位ごと入れ替える必要がある
ことを意識しないと、問題の意味が変わってきてしまいます。
そういう意味では、算数は数学ではないのです。もう一つ、算数の問題でよく出てくる例として。
「時速50kmで走っている車は、30分後に何km進んでいますか?」
という問題があったとすると、これを先ほどと同じように正確に書けば、
50[km/時] × 30[分]/60[分/時] = 25[km]
と単位を意識しないと解けない問題ですが、これは高校の範囲では数学ではなく物理の問題ですよね。
「算数」では、数の計算を具体的にイメージできるように、こういう具体的な問題を扱うわけです。そうすると、具体的な問題では「単位付きの数」を扱う事になるので、「入れ替えOK」とするならば、
「単位もついた状態で」
入れ替える必要があるわけです。
●結局どこまで教えるかという問題
一度でも教育の仕事の経験がある方ならわかると信じたいのですが、一番の悩みは
「どこまで教えるか」
という事なんです。
数学に限らず、学問は厳密さを追究すれば、どこまでも追究できます。しかし、その結果「木を見て森を見ず」になり、分かりにくいものになってしまいます。かと言って、分かりやすくするために厳密さを犠牲にすると、間違った結論を覚えさせることになりかねません。
「教育者」としての責任が無い立場で、雑談レベルで教養を提供する立場の人は、それでもいいのかもしれません。しかし、「教育者」として責任がある立場としては、たとえ分かりやすさを犠牲にしても、
「将来の学習で躓く原因になるような、間違った覚え方をさせる」
という事は絶対に避けるべきだと思います。
「掛け算の入れ替えOK」
を正確に教えるためには、以上の「演算の問題」や「単位の問題」を同時に扱う必要があるわけですが、これをどこまで説明して、小学生に理解させることが出来るでしょうか。かなり難しいと思います。
だから、
「実用的には入れ替えOKなんだよ」
というのは、教育に責任の無い立場の人が教えればいいんです。
私はこれは、
「学校で教えるべきこと」
ではないと思います。
●そもそも「わかりやすい」ことがいい教育なのか
最近は日本でも、受け身型の教育が見直されて、「アクティブラーニング」というものが取り入れられています。これは、
「情報を受け取るだけではなく、考える力を身につける」
ということが目的だと言われています。
そう考えると、この
「掛け算を入れ替えて不正解とされる」
のは、逆に子供が考えるのにとてもいい材料になっているのではないでしょうか。
昔は、
「言われた通りにやりなさい」
という形で、この指導要領が作られたのだと思います。
ですが、これだけインターネットで情報が氾濫して、小学生もそれらに普通にアクセスできる時代です。学校で教わったことを相対化するのはたやすいでしょう。
だからむしろ、不正解とされることに疑問を持ち、教わったことを自分なりに解釈するきっかけになっていると思います。現に、大人まで巻き込んで論争となっているのが何よりの証拠です。
教育は一人の教師で成立するものではありません。それはむしろ、考え方が画一化されて危険であることは、歴史が教えています。だから、
「掛け算の入れ替え問題」
が、これだけ議論の対象になっているのであれば、私は
「あえて学校では、その意味の本質が説明できなければ不正解」
としたままの方が、教育の在り方としてはいいのかなと考えています。
資格の勉強などをしている人はわかると思いますが、多くの人は、「わかってしまったこと」について深く考える事はあまりしません。だから、
「わかってたはずなのに、試験では問題が解けなかった」
という事になったりします。
後で本当に役に立つ勉強というのは、
「理解するために執着して深く考えた事」
ではないでしょうか。私自身、「わからない」ことに向き合って、深く考えてやっと役に立つ知識になった事がたくさんあります。
「今、わかること」
よりも
「考えるネタになること」
を沢山与える方が、結果的にいい教育ではないでしょうか。
※1:「掛け算と割り算は全く違う」について
数学の「初等代数学」においては、上で書いたように
割り算を分数にする
事で、本質的には同じだと言えます。しかし、「群論」においては
「"×"の演算と"÷"の演算」
は本質的に違います。
掛け算は、
x × y = y × x
であり、これは「可換群」です。
(もっと正確には、「結合則」と「単位元の存在」、「逆元の存在」が言えて可換群となります。)
それに対し、
x ÷ y ≠ y ÷ x
であり、これは「非可換群」です。
但し、乗算で非可換となる例もあり、行列の乗算も非可換となります。現在流行りの機械学習でも、その他、いろいろな定義の演算が使われています。
実数の四則演算は、数学の中では一般的な「演算」のほんの一部でしかないのです。