『音楽は自由にする』| 読書記録
2023年3月、1人の音楽家の生涯に終止符が打たれる。いや、彼は音楽家なのか。生前に彼が残した自伝には、一人の人間が “ 坂本龍一 ” となるまでのいろいろがとてもていねいにまっすぐに綴られている。
彼の自伝はとても謙虚に(消極的に)始まる。しかしすでにそこに彼の人柄が滲み出ていて、一瞬で心を掴まれてしまった。本屋さんで、続く文章を読み、私はすぐにこの本をレジに持っていくことになる。
買ってから、ものの数日で読み切ってしまったのですが、なかでも印象的だった文章を引用しながら考えたことを読書記録としたいと思います。「p○」は、令和5年に初版が発行された、新潮文庫のページ数です。
作曲することにとことん向き合うと、こういうことを考えるのかぁと唸ってしまった。そして、そのときまで私が抱いていたもやもやを綺麗に言語化してくれたような気もした。というのも、社会人になってから求められる文章はある種の役割や目的が乗っかっていて、それらを窮屈に思っていたことがよくあった。文章だけが独立することも、書くきっかけが独立することも、文章ときっかけが結びつき表現された瞬間、それが誰かに解釈されてしまう瞬間、それぞれの独立した何かはいろんなものが絡みついてしまう。坂本さんの書いていることを完全に理解したなんて言えないけれど、ここで書かれていることは、読まれるべきタイミングで私の前に現れてくれたように思います。
日本が豊かになってきたころ、知人を相次いで亡くしたことへの文章。その後も、大学時代からの友人で、個人事務所を一緒に立ち上げたり、海外での映画撮影にも同行してくれたり、坂本さんが長い時間を一緒に過ごしてきた“生田くん”が自動車事故で突然亡くなった際にも、同じようなコメントが残されている。「何年も毎日一緒に過ごしてきたのに、彼が本当はどういう人間だったかということを、ぼくは知らなかった。その、人間と人間の越えられない溝の深さに、打ちのめされました。」自伝にはたくさんの人が登場しますが、坂本さんは人生の中でどれだけの出会いと別れを繰り返してきたのだろうと思わざるを得ませんでした。
俺はここにいるぞということを示すような何か、それは俗に言う軸だとか信念だとかそういったものを包括していて、坂本さん自身の意思が感じられるところがとてもかっこいいなと思いました。応えることができてしまう方だからこそ、この何かを持っているかいないか、その後の活動において重要な分かれ目だったのではないかとも思います。
YMOのワールドツアー中、ロンドン公演で自分のソロ・アルバムからの曲「ジ・エンド・オブ・エイジア」を演奏していたとき、ステージ前のダンスフロアでカップルが踊り出す。それを見ながら「こんなカッコいいカップルを踊らせているんだから」と恍惚感を覚える瞬間だった、というエピソードがなんだかカッコいいなと思わせられる一節です。進みながら、その道を自分のものにしていく坂本さんらしさが私はとても好きです。
世界の映画音楽にも携わってきた坂本さん。明日公開される映画『怪物』が本当に楽しみです。観るの、なんか緊張する。
何も考えないで作ったものが一番売れたり、降って沸いたようにできた曲が自分の好むものなのか分からなかったり。誰かから求められる、認められることと、自分が求めること、それらが一致することよりも、試行錯誤しながら音楽を作り続けていたことがとても重要だったんだろうなぁと思います。
300ページ読み進めた後でこの文章があることに驚き、そのことがとても面白いなぁと思ってしまいました。うまく言えないけれど、何かをすることへの大義名分や志は、あとからついてきてもいいよなぁと思わされました(もちろん、必ずしもそうではないのですが)。音楽家になろうと思っていたわけではない、そんな坂本さんの人生は、気づけば音楽の道を歩んでいた、そして切り開いていた、そんな感じ。でもやっぱり、坂本さんは流れるままに生きていたというより、きっと人を集め動かすエネルギーを持っていて、自分の人生をしっかりコントロールしていた人だと私は思う。そしてそのさっぱりとした生き様がとてもかっこいいなぁと思うのである。
坂本さんの、こうした自分の人生の捉え方、問いの持ち方がとても好きだ。謙虚で、感謝の気持ちを忘れず、考えた先で満足しない。そんな人が作る音楽が、世界中で誰かの耳に届いていることに希望を感じる。
坂本さんの葬儀では、最後に「坂本が好んだ一節をご紹介します」として、「Ars longa,vita brevis. 芸術は長く、人生は短し」とラテン語の言葉が添えられたそうです。坂本さんが残してくれた芸術は、きっとたくさんの人の胸の中で生き続けるのだろうな、と思います。
この記事が参加している募集
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?