一年が過ぎても @リストラーズ
リストラーズに出会って 一年が過ぎていた。
自分のなかで意識した正確な日付はないが、リストラーズに出会ってから
先月はじめに 一年が過ぎた。
その直後には、自分の誕生日まで迎えた。
改めて お祝いされるような年齢は とうの昔に過ぎているが ひとつの節目には感じていた。
その日に 大袈裟なことを 思ったわけではない。
ただ もしリストラーズに出会ってなかったら ここ数年のしんどい期間を
普通の顔で明るく生きていられたかどうか怪しいもんだとは感じる。
かれらに そんなつもりはなくとも かれらを応援する気持ちを持つことで
ある種のハリを日常のなかに感じていた。
それは 現在も続いている。
出会ったことに 感謝の思いを持っていることを書いておきたい。
ひとは 生まれたときから ラストに向かってカウントダウンが始まるのだというようなことを どこかで読んだ。
それは事実ではあるだろうけど そう考え過ぎると 生きていることを楽しめない。
だが リストラーズメンバーが 現実の厳しい社会のなかで 普通に暮らしながらも たぐいまれな才能を世の中に発信なさっていることを見ていると、自分にも まだ出来ることや生きる意味があるような気持ちを持つことができる。
自分にも まだチカラを尽くすことがあると 信じられるようになっている。
大企業に勤務なさっているらしいので もちろん立場は全くちがい、世間的にいえば 恵まれている、という立ち位置なのかもしれない。
ある程度 安定した家庭、大手での勤務、成功の階段を昇る趣味。
その様子にあこがれる人たちは きっとたくさんいらっしゃる。
逆に 嫉妬の思いまで持ってしまう人たちもいるかもしれない。
筆者は よく メンバーの楽しみだけでなく、苦労や、哀しみや、努力や、
工夫の積み重ね、周りへの気遣い、こころ遣いを想像してみることがある。
想像の話なので そんなんじゃないはず、というご意見は 横に置いておくことを許していただけるとありがたい。
簡単に言えば
ほかの人ができない経験をすることは
ほかの人が経験しない苦労を背負うことと
背中合わせになっているのではないかということ。
それは自分のことを考えれば分かる。
プラスでもマイナスでも、なにか 特別なことを経験した場合、たいていは
その陰にある努力や苦労、人知れぬ涙は 周りからは見えないし、見せる必要も 機会もない。
たとえば 仕事で なかなかに いい立ち位置にいる場合、他のひとがしない
苦労が隠されているのではないだろうか。
単にスキルのことだけでなく、上下関係や横関係のバランスにも 常に配慮して 心がすり減るようなこともふくめて。
それを何でもないように おこなっていれば 周りからも 苦労のようには見えず、自分自身も苦労だと思わないかもしれない。
だが ひとの性分によっては、何らかの問題が生じたとき、そばにいる部下や同僚に、責任や解決を放り投げて 知らん顔をされることもあるかもしれない。その被害に遭うこともあるだろう。
どちらにしても 自分か または 自分以外の誰かが 何かを背負うことになる。
人間関係ふくめた シワ寄せのようなものだ。
その後
起こった問題の解決に当たった人には、目には見えないご褒美のようなものがある。
苦労して問題をかみ砕きながら、自分自身を育てて耕す材料にしてしまい、ひとまわり大きく成長する機会を得るのだ。
悔しい思い、踏みつけにされた思いも含めて、すべてが経験になって自分を育てる。
とは言っても そう簡単に 佛教に立脚するようなこの考え方には 至らず、
歯ぎしりしながら 恨んだり、心の奥で罵ったりもあるかもしれない。
筆者自身にも 解決に至っていない問題があり、かかえこんでいる。
ただ
しなかった経験は 他のひとには理解できないし、ひとの気持ちが分かる人にもなれない。
こころの襞が増えないまま 優しく深い心も持てないのではないだろうか。
生きることに対して 毎日 充実感を感じるのは そう容易なことではない。
もしかすると それはすごくラッキーで 恵まれたことなのだろう。
だからこそ 筆者が あこがれている かれらであっても
その裏側に何らかのしんどさや苦労をかかえてらっしゃるかもしれないことを思ってしまう。
もちろん それが不幸だとは思わないし、むしろ幸福なことだと思う。
少なくとも筆者は 過去のかれら、今のかれらの存在に励まされているし、
元気を分けてもらっている。
だから その分 かれらには より多くのリターンがあることを心底 祈りたい
気持ちになっている。
リストラーズが何を目指し、どんな方向に進まれるのか、一ファンの筆者には 何も言う権利はない。
ただ 企業人として 家庭人として 全うされるかたわら、音楽活動を続ける
環境が 長く続いていくことを祈るだけ。
もっと平易な言葉で言うなら
「どうか かっこカワイイを聴かせて♪ 魅せ続けて♪」ということ。
一年が過ぎても
どきどきワクワクしながら動画を開くあの瞬間が 続くことを願わずにいられない。
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「趣味だ」と聞かされていても
雑誌のように 読み捨てたりなんかしないから >