承認欲求

今日帰りに、細い道を自転車でシャカシャカ走っていたら

向かいから自転車に乗った親子がやってくるのがみえた

まだ自転車に乗りたてだろう幼稚園児くらいの子が

蛇行しながら近づいてくる

危ないので、とりあえず脇に避けて一時停止

私の横を、一生懸命ペダルを漕ぎながら通り過ぎる子ども

そのすぐ後ろをゆっくり親御さんが同じく自転車で


無言で通り過ぎていった


え?いや、いいんですよ、別にありがとうとか会釈とか

当たり前のことしただけですからねえ


しかしながらつい心の狭い私は

「え、 ひとことあってもよくね?」

と、思ってしまった、、、、

というか気づいたら口から出てしまっていた私は、

(あ、もちろんボソボソとですが)

つくづく承認欲求の奴隷だなあと



この「承認欲求」

だいぶ前に読んで、かつ最近お気に入りのYouTube の本の解説動画で勉強しなおしたベストセラー本

「嫌われる勇気」

の中で、この「承認欲求の奴隷になるな」と書いてあったのを思い出した


この本ではさらに

「自己の課題と他者の課題を分離しなさい」と語っていて、

今回の私の場合だと

あの親御さんが私にお礼をいうかどうかは、あの親御さんが決めることで

私が決められることではないから


     気にするな!


ということらしい

相手から「いいひとだって思われたい」という承認欲求があるから求めてしまうわけで

相手にどう思われるかではなく、承認欲求を捨て

自分の信念にしたがって行動しろ


と書いてございました。



・・・・いやもちろん理論的にはわかりますよ?

でもさー こっちもそこそこ急いでたのに、わざわざ止まって避けたのに

あ、すみません、とか、ありがとうくらい言ってもよくね?

向こう歩行者で、こっち自転車なら、百歩譲るけど、自転車同士だし


とかやっぱりブツブツ言ってみる 笑



だって、人間なんてそんな綺麗なもんじゃないから、

承認欲求から解放されて、世のため人のために、仏のように生きていけたら素晴らしいかもしれないけど

やっぱり私は人間のこの

どうしようもないところを愛しくも思うから

生きてるうちはまだまだ仏にゃなれんでいいわと思ったのでありました。


そしてきっと明日も

ちっちゃなことにイラっとしたり救われたりしながら

生きていくのでしょう

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