わたしのこと
高校時代から現在に至るまでの自分について語っていこうと思います。
高校時代
文教大学付属高等学校に通っていました。
なぜこの高校を選んだのかは、正直まったく覚えてないんです(笑)いろいろここではお話しできない事情があって2校で悩んでいたんですが、たぶん大学にそのまま入れると思って選んだような気がします。
自分で覚えてなかったので母親に聞いてみたら、
「覚えてない」
と言われました。
2人して高校選びにまったく関心がなかったということですね。
高校時代はそれなりに楽しかったです。
高校が大井町線沿いにあったので、自由が丘で遊んだり溝の口で遊んだり、渋谷のほうでも遊んだり。
勉強は得意ではなかったのですが、そつなくこなしていたような気がします。
高校で楽しかったことといえば、他校の文化祭行ったり大学の文化祭に行くのが楽しかったですね~
大学の文化祭は特に、屋台がたくさんあったので新鮮でした。
大学時代
恵泉女学園大学でした。
多摩の山の方にある大学です。
多摩センターからバスでさらに山にいくんです。周りは本当に山だったので、「友達と近所にご飯」なんてできませんでした。
ちなみに今もあるかわかりませんが、1年生は全員農業をやらされるんです。
白菜とかきゅうりとかいろいろ育てたんですけど、女子大生が野菜を家に持ち帰るわけもなく、寄付する場所があったのでみんなそこに置いて帰っていました。
1回だけ、母親が白菜が欲しいというので、車で大学まで行って、白菜を大量に持ち帰ったことがあります。
野菜への執着が半端ないですね。
そういえば何を専攻していたのか話すのを忘れていました。
わたしは「英語コミュニケーション学科」でした。
英語はまったく上達しませんでした。
大学でサークルも入っていなければ研究とかもしていなかったので、何をしていたのかというと。
遊んでいました。
単位はちゃんと取れるものを取っていたので、単位も取りつつ、遊ぶことも忘れてなかったです。
大学時代が一番人生を楽しんでいたかもしれません。
就職(1社目)
仕事はいろいろ探していたものの、やりたい仕事もなかったし、将来なりたいこともなかったので、のんびりしていたら大学を卒業してました。
就職したのは卒業したあとの5月。
派遣でもいいかもと思っていて、さらにキーボードを打つのは得意だったので、パソコンを使える仕事がいいなと思って探していたところ、アパレル企業の人事で採用されました。
派遣で入るのかと思ったら業務委託での契約で、1年後に問題なければ正社員として雇用すると聞いていて、実際1年後には正社員になっていました。
仕事内容は、
・給与の支払い
・社販の計算
・保険関連の手続き
・その他資料作成
他にもあった気がするんですが、主にこの業務を行っていました。
入社して1年くらい経ったころだったかな?社会保険などの手続きを担当していた先輩が妊娠されて、そのまま仕事を辞めるということだったのでわたしが引き継いたんです。社会保険についてはまったくの無知だったので一から覚える必要があって、先輩から一応レクチャーはもらっていましたが、自分で本を買ったり保険会社に問い合わせたり、いろいろ苦労はあったもののとても勉強になりました。今後の人生で困らない知識だったので、勉強する機会があって本当に良かったと思っています。
2年ほど勤めたんですが、退職することを決めました。
理由は2つあって、1つは社長からのセクハラです。精神的につらくて毎日胃が痛かったです。2つ目は給料が低かったことです。友達とも満足に遊べなかったので、転職することに決めました。
転職
今の会社に入って、もうすぐ丸8年になります。
ゆめみに決めたのは、パソコンが使える仕事だったこと、人事の経験を活かせると思ったからです。
本当は人事をやりたかったんですが、人事の経験が少なくてなかなか決まらなかったので、別の仕事を探していた時に、エージェントの人にゆめみを紹介されました。
正直、ゆめみの面接を2回受けたあとは、ゆめみに入りたくないと思ったんです(笑)
2回目の面接は人事だったんですが、人事の松田さんがTシャツ短パンで出てきて、「この会社大丈夫かな」と心配になりました。
たぶんエージェントにも相談したと思います。
でも、役員面接でれいっち(代表取締役)やほかの役員の方とお話してまともな会社だとわかったことと、オフィスに通してもらったときにデスクトップモニターを1人2台持っていたこと(当時)がとても魅力的に見えたんです。
また、Tシャツ短パンの人事の松田さんと会社を決める前に飲みに行ったんですが、話を聞いてみたらすごくいい会社かもと思ったので、そこで決めました。
ゆめみに入ってからは、2年間外食チェーンのコンテンツ運用を行って、運用設計なども経験させてもらいました。
作業は大体毎週同じことを繰り返していました。
どの仕事ももちろんですが、「絶対にミスしてはいけない」という環境はとにかく自分への甘えは一切許されず、常にすべてのことに疑った目で見ることが必要でした。毎週同じ作業を繰り返しているからこそ起こりやすいミスもチームの全員でカバーして防ぎ、障害ゼロを目指す。
障害ゼロは当たり前だけど、当たり前のことを当たり前にとらえて仕事をしてはいけないのがコンテンツ運用だと思っています。
そしてここからがわたしの新しい人生の始まりです。
コンテンツ運用を経た後に、営業に異動しました。
理由はいろいろありますが割愛します。(割愛するんかい)
営業は大変でした。
まずゆめみの理解から入るのにすごく大変でした。
コンテンツ運用しているときはゆめみに興味がなかったので、他のチームが何をしているのかとか興味なかったんです。
なんで営業に異動したん?ってかんじですよね。
本当にその通りです。
でも営業の経験は、おそらくゆめみでの人生の中で一番の勉強になった経験だと思っています。
クライアントワーク、社内調整、パートナー企業探し・・・・
わたしにはまったく向いていないと1年で気づきましたが、この経験があって今の広報ができています。
広報業務を本格的にやり始めたのは1年前くらいですかね。
広報に人が足りていなかったのと、わたしが営業を離れて暇になっていたので、広報を手伝う形で入りました。
最初はコーポレートサイトの運用がメインで、原稿作ってアップしていました。
去年の夏くらいに、もう1人いた広報の先輩が産休に入られることが決まったので、広告の対応や採用広報を担当するようになりました。
現在
最近は広報に関わってくれるメンバーが増えて(わたしがポンコツなので)、とても楽しく仕事ができています。
わたしは向上心がなくて、将来こうなりたいとかもないんですけど、ゆめみの人たちが幸せに仕事ができたらいいなと思っています。そのためにわたしができることを頑張りたいと思います。
現在の情報うっすいですね。
最後に
広報は自分で楽しめば楽しくなる!