目黒区虐待死事件 獄中手記を読んで
お読みになる前に
この記事は、2018年に東京都目黒区で起きた虐待死事件について書かれています。
特定の人や機関を擁護したり、批判したりする意図はありません。
私の感じたことを適切に伝えるために、手記から引用している箇所がいくつかあります。
引用箇所や本文は、虐待被害に遭われている、配偶者からのDVを受けている人等が読むと、嫌な気持ちになったり、怒りが込み上げてくる可能性があります。予めご了承の上、お読みください。
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私の仕事は保健師です。
虐待のニュースをTVやインターネットで見かけると、保健師の私はまず何を確認するか。
初めに、虐待が発生した自治体はどこか。
次に被害を受けたお子さんの名前に見覚えが無いか。
最後に、お子さんが生きているかどうか。
自分が関わった家庭じゃないよな…?と頭をかすめる。
これは虐待対応を業務とする人なら、一度は経験があるのではないでしょうか。
もうおねがいゆるして
亡くなった船戸結愛ちゃんが書き遺した言葉は、事件を知った大人たちの心をえぐっていきました。
2018年3月2日
彼女の亡くなった日からもうすぐ2年が経ちます。
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当時は実際に暴力を振るっていた養父(母の再婚相手)への批判もさることながら、子どもを養父から守れなかった母への批判も相当だったと記憶している。
保健師の自分を抜きにして、実はそういう世論にモヤモヤしていた。
「母親なら子どもを守って当然」
世の中に見えない形で蔓延している母親の自己犠牲論にはうんざりした。
父親だって子どもを守って当然だ。それがたとえ実子じゃなくても、養子縁組をした時点で責任を持たねばならない。
実子以外を排除しても仕方ないという動物的理由は、男性だからといって適応されるわけがないのに。
保健師としての自分がまず思ったのは、この家庭にはどこの機関も関わっていなかったのか?だ。
なぜなら、どこかしらの支援機関が関わっていながら、こんな悲惨な結末を辿るわけがないと思ったからだった。
今回の手記でも確認してみたが、もちろん支援機関は関わっていた。しかも複数。
まず目黒区に転居する前の香川県で一時保護2回、子どもの定期通院、母の精神科通院、転居後も児童相談所が介入を試みていたようだ。
こんなにも支援機関が関わっていながら、なぜ最悪の結末を防げなかったのか。
どこの支援機関が悪かった とか、そんな単純な話は、ここではしない。
というより、できない。
母の手記を通して、支援者はどうあったらよいのか、自分に落とし込んでみようと思う。
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手記を読んでいて、一箇所だけ、涙がこみ上げた部分があった。
それは壮絶な虐待、DVの描写の部分…ではなく、事件が起きた目黒区を管轄する、品川児童相談所職員が、裁判で発言した言葉だった。
9月4日(水)第二回公判 品川児相の証言を聞いて
品川児相には裁判前からずっと謝りたかった。私の児童相談所への間違ったイメージによって追い返してしまったこと、本当に申し訳ありませんでした。香川の児相職員との関係がうまくいっていなくて、児相とは家庭をぐちゃぐちゃにする組織だと思っていた私が悪かったのです。裁判での「お母さんも助けてあげたかった、家族みんな。助けてあげたかった」という発言を聞いて、私があなたときちんと関係を結べていたら、結愛は助かったと思い、心から後悔しました。【P173-174】
児童虐待の被害者は、被害を受けている子どもだ。
児相職員等、児童虐待に携わる人は、子どもを守るため という大義名分を持っているからこそ、理不尽な保護者にも立ち向かえる。
でも被害を受けている子どもを救うためだけの支援ではない。加害者である保護者に、これ以上、大きな罪を背負わせないための支援でもあるのだ。
品川児相の職員は、支援者を代表して、みんなが思っていたであろう言葉を、母に伝えてくれた。
会ったこともない、見たこともない、どこの誰さんだかも知らない児相職員の言葉に、こんなに気持ちが込み上げてくるとは思わなかった。
私はこの家庭に関わっていない。けど伝えたいことは、児相職員と同じだった。
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手記の中で、彼女は運命的な出会いをした と記述している。それは彼女を担当した弁護士さんとの出会いだった。
起訴される日が近づく中、私は運命的な出会いをした。はっきり言ってもう誰とも話したくなかったし、何もかもを放棄したかった。
<中略>
紹介された女性弁護士の第一声は「若いお母さんだね〜」だった。私はびっくりした。もっと責められたり、呆れられたりすると思っていたから。でも目の前にいる弁護士さんははっきりとした物言いをしそうなのに、とっても優しい瞳をしている。瞳がこの人の瞳であることをとっても喜んでいる感じだった。【P112】
4月に作った遺書は捨てた。弁護士先生に今までのことをすべて話す決断をした。
本気で死ぬことを考えて何度も何度も死のうとしたこと。先生は涙を流してくれた。この1年間、死のうとしていたこと、辛かったこと、自分の本音、自分の思ったこと、感じたこと。ずっと誰にも言わずに黙ってきた。話しても無駄だと思っていたから。
この先生は他の人とは違った。この先生に相談すれば私にとって正しい方法で必ず助けてくれる。この先生以外に相談すれば私にとって間違った方法で助けようとしてくる。同じ助けてくれるにしても全然ちがう。【P148】
これら以外の文章にも、彼女が、この弁護士さんを信頼している様子が感じられる言葉はたくさんあった。
「この先生に相談すれば私にとって正しい方法で必ず助けてくれる。この先生以外に相談すれば私にとって間違った方法で助けようとしてくる。」
私はこの文章にハッとさせられた。
助けてくれる
と
助けようとしてくる
似ている様で、全く違う。
私がいつもおこなっている支援は、後者になっていないだろうか。
私の瞳は、相手を安心させられる眼差しになっているだろうか。
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私は傷のなめ合いみたいなことが嫌いだった。仲間なんていらないと思っていた。しかし子供たちを守るためにはたくさんの仲間が必要だと思った。仲間からたくさんのことを学びたいと思った。【P225】
手記の最後のページにはこう書かれていた。
もっと早くに、彼女が気づけていたら。
誰かが彼女の仲間になれていたら。
そう思わずにはいられなかった。
しかし彼女が、上記のように考えられるようになったのは、彼女を支えてきた支援者達の、並々ならぬ熱意と、技術と、時間のおかげだと思う。
人の考え方を変えるのは、想像している以上に難しい。
それを抑え込むでもなく、押し付けるのでもなく、自然と、本人が変わっていけるところまで見守ってくださった方々に、なぜだか、私も感謝をしたい気持ちになった。
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この手記は、母サイドから書かれたものだ。
なので、実際に暴力を振るっていた養父の背景についての記述はほとんどない。
だが手記から「俺やお前(母のこと)のような大人になって欲しくないから」と言いながら、しつけと称した暴行をおこなっていたと知った。
この言葉だけで全てがわかるわけではない。
ただわかるのは、彼は彼自身を好きになれずに大人になった という、やりきれなくて、虚しくて、悔しい事実だ。
自分の犯した罪の重さを、真に感じるためには、たぶん、なんらかの支援を受ける必要があるのではないか。
彼も、いつかの、被害者だったのかもしれない。と、ふと頭をよぎった。
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2019年1月
もう一件、忘れられない事件がある。
千葉県野田市で起きた、小4女児の虐待死事件だ。
目黒区の事件と似通った点(父から母へのDV、転居、SOSを拾いきれなかった)もあり、2つの虐待死事件をセットで覚えてる人も多いと思う。
こちらの事件は父親の裁判が続いている。
2つの事件が強烈だったためか、世の中にも変化が起きた。
私の体感ではあるが、明らかに近所や知り合いからの虐待通報が増えた。
また、もう1つの大きな変化として、子ども自身が「親に叩かれているから、やめるよう言って欲しい」と自ら通報するパターンが出てきた。
親子喧嘩の延長では?と疑う事例かと思いきや、実際は真っ当な通報ばかりだった。
子どもにも権利があって、それはたとえ親や家族であっても侵害してはならない。
本来なら、学校教育の場や家庭から学んでいくべき常識を、悲しい事件の報道で学ばせる大人たち。
大人は子ども達に何を残していきたいんだろう。
おわりに
手記が発売されると知って、正直複雑な気持ちになりました。
加害者が出した本を、お金を出して買っていいのか、と。
だけどそれ以上に、私は知りたいと思いました。
助けられるはずだった家庭を、どうして助けられなかったのか。どのようにして、あの家族が、機能不全におちいっていったのか。
目を背けたい事実には、目を背けてはいけない事実が隠れています。
はじめは買うか悩みましたが、今は手記を読んだことに後悔はありません。
児童虐待は、毎日、どこかの町で、あなたの隣で、起きています。
彼女は、あなただったかもしれない。
行政職員だけでは、守れる命に限界があります。
社会が、地域が、近所が、家族が
自分ごととして虐待を考えられるようになったら。
暖かい眼差しで見守り、寄り添ってくれる人がもっともっと増えたら。
今よりたくさんの命や、誰かの心が救われると信じています。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。