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「ひとさじの幸せ」を思い出した話。


中学生の頃、古典の授業が大嫌いでした。

古語なんてわからないし、助動詞やら系助詞やら覚えることは多いし、純粋に意味が分からなかったから。

しかし、そんな私が、今や国語科の教員。
しかも古典が一番好きなんです。



人生何があるかわからないものですね。


先日、私が推しているアーティストが対バンライブを開催しました。
もう一人のアーティストは全然知らない方で、正直興味もなかったので、早く推しが出てこないかな、とそんなことを思いながら聴いていました。


しかし、その方のある曲が、忘れてしまっていたある感情を思い出させてくれたのです。

曲はこの記事の一番下に載せておきますので、是非聴いてみてください。




皆さんは昔好きだったもののこと、どれだけ覚えていますか?





中学生1年生のころ、暗くて目立たなかった私に初めての彼氏ができました。初恋です。

当時はお互いスマホも携帯も持っていなくて、電話で話す時はいつも家の固定電話でした。
もちろん家族もいましたから、電話を掛けるときはドキドキです。
お母様が出るか、お父様が出るか、もしくはお姉さまが出るか。お祖母様かもしれない。
「この時間に電話するね」と言っていても、誰が出るか分からないんです。


しかし、誰が出るかな?彼が出るかな?ってドキドキしながら電話のコールを聞くのが好きだったんです。


0時ちょうどに彼が電話をくれる時は、枕元に子機を置いて、電話のコールで目が覚めて、朝まで話したりして。
たまに私が寝落ちて、親が起きて電話を取った日もありました。


あれは本当に申し訳なかったんですけど、親の目を盗んで二人の時間を過ごすのも好きでした。


電話番号を登録していなかったので、かけるときは毎回番号を押します。
当時は、絶対に間違えない番号で、絶対に忘れない番号でした。
電話をかけようと番号を押して、何か緊張して切って、もう一回番号を入れて、夕飯中かも!と切って。


ほとんどの人が時間の無駄だと思うだろう、コールを聞くまでのあの長い葛藤が、私には無駄ではなかったのです。


音楽はウォークマンで聴いていて、本屋に行って、CDを10枚1000円でレンタルして、パソコンから取り込むのです。
時間はかかったし、聞きたい曲をすぐには聴けなかったけれど、


パソコンが曲を取り込んでいる様子を眺めて待っている時間も、本屋でCDを探したり選んだりする時間も、好きでした。


学校の図書室で本を借りるときは、背表紙についているブックカードに自分の名前を記入します。


好きな人の名前と自分の名前が載っていたら、なんだか嬉しかったのです。


「リアル耳をすませば」なんですが、普通に考えるとただのストーカーでキモイやつなんですよね。


まぁ、若気の至りということで。

当時の貸出カードは今も持っていて、いつその本に出合ったか、それを見ればわかるんです。


当時はLINEもInstagramもありません。
友達とはいつも手紙でやり取りをします。
ルーズリーフに聞きたいことや話したいことを書いて、シールや色ペンでたくさんデコって手紙の形に折って手渡します。


私のことをいっぱい考えて書いてくれた手紙がとても嬉しくて、相手のことを考えながら書く手紙が、とても楽しくて、なんとも言えない幸せを感じました。


あの頃、今よりもずっと不便だった頃、その不便が、私は楽しかったのです。

誰とも関わっていないはずの時間に、誰かと関わっている感覚になれたのです。
誰かと繋がっている感覚になれたのです。
ひとりぼっちが好きだった私ですが、独りではなかったのです。
「一人の時間」に誰かを感じられる、そんな幸せが、あの頃にはあったのです。
ひとりぼっちが全然怖くなかったのはあの小さな幸せが、ほんのちょっとのトキメキが、いつもそばで見守ってくれたからだったのではないかと、そう思うのです。



しかし、そんなトキメキは今はもうありません。

大人になるにつれて、あの頃感じた幸せを失ってしまいました。
それが、とても悲しくて仕方がないのです。


古典が好きになったのも同じような理由だったと思います。

古典に興味を持ったのは、和歌を学んでからです。
昔の人が自分の思いや見た風景を、比喩を用いてうまく表現するのを見て、
何故こんな感性を持てるのだろう、と感動したのを覚えています。
そして、今から100年以上も前の人々が感じた感情を、現代を生きる私に刺さったことに驚きました。

何年たっても、どれだけの時代を経ても、どれだけ文化や技術が発展しても、人の心は変わらない、その不変さに、愛おしさを感じました。

ただ、私は彼らのように上手く自分の感情を31音で表現することはできません。技術の発展と引き換えに、失くしてしまったものです。


できなくても何の問題もないのですが、時代を超えて昔の人とも繋がれる、そんな感覚になれたのに、彼らと同じ感情を抱いても、彼らと同じように伝えられない、この一方通行感が、なんだかとてももどかく、とても寂しいのです。



便利になって人の生活は変わりました。
しかし、それで失った幸せがあったと思うのです。
大人になって忘れてしまったトキメキがあったと思うのです。


そんな風に考えると、なんだか嫌になってしまうのです。
幸せやトキメキのない日々をやめたい、投げ出したい、逃げたいと思うようになったのです。


そんな時、私に陽だまりを作ってくれた言葉があります。

小さいころにあふれていた「トキメキ」はきっと消えてしまったわけではなくて、自分で気づくことができなくなってしまっただけだと思う。
したい事はできる事じゃない、できない事もしたい事にしたい。
そうやって今日を歩んでいれば、またそんな自分に出会える。そう信じて。

映秀。

対バンライブを行った私の好きなアーティストの言葉です。


きっと大人になるってそんなにいいことではないのかもしれない、そんな風に感じていました。

しかし本当は、子どもか大人かは関係なく、気づけるかどうかの違いなのかもしれません。


そう思うと、今感じている寂しさも少しは和らぐのでしょうか。
今はまだ分かりませんが。
それでも、気楽に頑張ってみます。


将来、今よりもずっと便利になった時代にも、トキメキを見つけられるように。

ひとさじの幸せを探して。



最後に、冒頭で書いた曲を紹介して終わります。

では、また何処かで。

photo : Twitter / @silen6318


新聞 / Nakamura Emi

𓈒𓂃◌𓈒𓐍歌詞𓐍𓈒◌𓂃𓈒

画面の文字を見ながら 
見えない相手を想像しながら
仕事はどんどん進んでいく 
珈琲もどんどん減っていく
パソコンのキーを打ってたら 
笑いながら母親が言った
「ネズミの足音みたい」 
フッと笑って手が止まった

当たり前のこの音に 埋もれていた

夜明けに滴る雨の音 カブの音とポストの音
なんだか特別に聴こえて 
ぐしゃぐしゃな顔でポストを開けた
ビニールがかかった新聞  
びしょ濡れで届けてくれたんだろう
たったそれだけのことさ 
たったそれだけのことさ

なんか忘れてる気がした 大切なこと

好きな人の家に電話かけて 
誰が出るかわからないあの緊張は覚えてる
行きたい場所へは
地図であらかじめチェックして
時刻表はお財布に入ってて
あとは道を尋ねれば行けた
待ち合わせの時間に来なかったら
先に言ってるって駅の伝言板へ
電車で綺麗に小さくたたんで
新聞読める人がなんかかっこよかった

どんどん便利になったから 
どんどん面倒が溢れて
でも全然人の心は 
いつまでたっても便利にならない
「教育」の線引きの多くは
「体罰」となり始めた
ご近所と顔馴染みだった時代 
人間関係に悩む時代

あれ あれ? その境目をこの目で見ていた
あれ あれ? 「大切なこと」

料理みたいな ラジオみたいな 
レコードみたいなものかな
部屋には1人なのに誰かに触って話したような
手紙みたいな 新聞みたいな 
万年筆みたいなものかな
1人なのに誰かに触って話したような

携帯がない そんな時代 
知ってる最後の世代かもしれない
手間はちゃんと真心になる

そんなこと思いながら 
ビニールをとった新聞は
読み終わるとうちの猫のおやつを置く
お皿になった


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