表現する
今日は華金だったので、家でゆっくりしていたら気づいたらこんな時間になってしまった。
まあ、ただゆっくりしていたわけではない。
新卒同期が21卒の内定者とオンライン飲み会をしよう!と決めたり、SNSで積極的に受発信していこうと意気込んだりとモチベーションが上がるとても良い華金であった。
それはさておき、今日も自分の話しをしていこうと思う。
今回のテーマは「表現する」だ。
ぼくは表現するという行為がとても好きで、でもなかなか踏み出せずにいる。
踏み出せない理由は自身に自信がないこと(ダジャレじゃないです)もそうであるが、単純に経験数が少ないことにもある。
小学校のときに陸上クラブに入って以来、ずっとスポーツと勉強しかしてこなかった。本当は陸上クラブに入る前は、オーケストラに入ってヴァイオリンを弾く予定であったのに。
当時の小学校の担任がたまたま陸上クラブの監督をしていて、半ば強制的に入部させられたことにより、ヴァイオリンを弾いていた世界線は虚しくも分岐点で消え去ってしまったのだ。
もちろんこの陸上との出会いが、後に始まる硬式テニスにも活きてくるようになり、最終的には北海道1位まで登り詰めるのだから感謝はしている。
しかし、今になっても音楽や絵画などを通して自己や世界観などを表現している人を見ると憧れられずにはいられない。
なんでだろう?その理由を考える。
たぶん美しいからだろう。
表現されて表出したものそのものが美しいというわけでなくて、その過程に美しさを感じてしまうのだ。
音楽や絵画はその美しさを出すために、多量な血と朝と涙を流している。
そうしたなかで喜怒哀楽といった感情の全てが絞り出てきて、それが吹き込まれたものというのは、その人独自のものとなってくる。
つまり、「表現した」ものというのは、もがき苦しみながら見つけた自分たる所以のようなものなのである。
そのような過程を経て生み出されたものは、とても人間くさくて、美しい。そう感じるのだ。
自分は表現できる人間になりたい。
このnoteでは、人間らしさやもがき苦しんでいる過程を存分にお届けしていきたいと思う。
(眠すぎて支離滅裂な文章になっていたらごめんなさい)