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【元不登校児の母】#0~不登校卒業後~

ムスメが不登校になったことで、母としての自分自身を振り返るきっかけになりました。
ムスメの中学受験、不登校、家族の崩壊と再生、新たな進路と不登校の卒業、私の退職について、これから少しづつ綴っていきます。

不登校を卒業した現在大学2年生のムスメから
私は働くママの背中を見てきたから、ママのようになりたい。」と言われ、報われた瞬間でした。

不登校卒業後について少し触れたいと思います。


自己紹介
Nana 40代 関東在住
2024年4月に25年勤めた会社を退職
実母の介護と勉強に励む日々



1.不登校の出口

■笑って過ごせるようになるまで

不登校を卒業するのは、いつなのか。学校へ行けるようになることなのか。

我が家の答えは、「笑って過ごせるようになる」という至ってシンプルなもでした。

「学校に行けない」ことはムスメの苦しみの結果であって、「学校へ行く」ことが目標ではなく、ムスメの苦しみの根本が解決できた瞬間が不登校の出口なのかな。と思いました。

どなたかの投稿で、100人いれば100通りの不登校理由がある。とありました。
全くその通りで、笑顔を見せなくなったムスメが笑えるようになれば、もうそれ以上は望んではいけないと思いました。

■ジュクジュクと痛む傷

とはいえ、頭で理解していることと、気持ちは別物で「不登校時代」の記憶は何年もムスメにも家族にも傷となって残りました。
これはある程度時間が解決するまで、気長に向き合っていくことと決めました。

■大型犬の散歩

ムスメがその後の進路を決めたとき、毎晩二人で散歩をしました。
我が家ではそれを「大型犬の散歩」と名付けました。(大型犬=ムスメ)
横並びで歩きながら、ムスメは取り留めもなく色々な想いを語ってくれました。
そうやって少しづつ不登校を卒業していきました。

不登校の卒業とは傷を癒やしながら過ごしていく日々の連続を、繰り返していく作業なのかと思います。
ある1点を切り取って、卒業とするような類のものではないのが不登校なのかなと思います。

2.自律をするということ

■我が家の場合

我が家の場合は、自律を促すことが今後のムスメには必要ではないかと感じました。
過保護で過干渉気味のワタシは、また同じことを繰り返す可能性がゼロではありませんでした。それと同時に、ムスメが自身の「甘さ」や「弱さ」に向き合い自分で責任を負う覚悟が必要だったので、大学入学を機に一人暮らしをしています。

■まだまだ全然だけど

大学生になったムスメはまだまだ「甘く」て「弱い」ままですが、ムスメにはムスメのペースで大人になっていくための時間が必要で、焦らずに遠くから見守っています。

■未来は不透明のままでいい

親の敷いたレールや、世間一般の常識といわれるルート上から見える景色が灰色に見えて絶望することが、人生の長い道のりではもしかしたらあって
その逆に、
自分の力で進む隣人の道の先が青く見える瞬間ももしかしたらあるかも知れない。
そんな時に、今を嘆かずに柔軟に進む道を変更したり、引き返したりできるしなやかな強さを「不登校」の経験から得てくれれば、それ以上はないと思っています。挫折を認める強さみたいなものでしょうか。

不登校児の将来や社会性を心配する声を見掛けることもありますが、不登校児に限らず、子どもに対して「こうあるべき」と大人が心配する「べき」がそもそも正しいのか正解なんてないと思っています。
正解がないのに、自分の安心できる範囲で「こうあるべき」を決めて窮屈になるのは、お互いに苦しいだけだと思います。

色々な考えがあると思いますが、我が家の場合は「不登校」とは「家族の問題」でした。


拙い長い文章にお付き合い頂きありがとうございました。

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      2024年11月 Nana✿
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