モノサシで見る大人と子ども
私たちは無意識に人と比べ、人を判断し、
競い合っている生き物なのかもしれない。
自分と似たような性格の人と気が合うように、
自分と似たような価値観、好み、
同じくらいの力量をモノサシにして見ている。
自分基準で周りを見たとき、上下関係ができる。
上を見れば自分には敵わないように感じたり、
下を見れば自分のほうができると感じたり。
そんなレベルの差に悩むのも嫌悪感だったりする。
まあ、どの材料を用いてどの基準で判断するかによっても違うのだから、長所短所というものが生まれて当たり前だ。
いわば学生時代のクラス分けのような感覚。
ついていこうと必死になる上級クラス、
なんだか物足りない下級クラス。
少人数になるほど、その人の力量が浮かび上がる。
周りが自分に合っていないと感じるとき、
とてもモヤモヤするものだ。"なぜ"の嵐。
行動にも影響し、やる気にも直結してしまう。
色んな場所に身を置くと時折感じる。
優れた人たちばかりの中にいると劣等感が湧き、
苦しくなった。その逆は自分が低く見えて辛くなった。
あの時はよかった場所も、成長したらそうではなくなる。ステージが変わる。
あまりかけ離れず、無理なく上を見られる存在が近くにいること、下を可愛がれる存在であること、そんなごく自然な付き合いが自分を安定させる気がする。
以前、住職さんの話にこんなことがあった。
とある運動会の日のこと。徒競走で一斉にゴールに向かって走る中、転んでしまった子がひとり。それを見たとき、1位を取りに行かずに引き戻ってまでその子と一緒にゴールに向かったという。
子どもというのは何も競走心がなく、周りの人間を同じように思いやれる気持ちが備わっていると。
それがいつしか大人になると、誰かを蹴落としてまで優位な立場に立とうとする競走心が目覚めてしまう。
そうならないようにしたいですね、と…
できることなら子どもの頃のような
純粋無垢な気持ちでずっといられたらいいのに。
真っさらな子どもたちを見ていると、涙で溢れる。
今日はそんなことを思ったりした。