人間社会に潜む”とらわれ”
おはようございます。
今日は「とらわれ」について。
とらわれの経験は誰もがある…と思っていいのか?
理解のない頃は自分だけの気持ちの問題なのだと、
自分の弱さなのだと捉えていた。でも違った。
それは人間社会に必ず起こってしまうことだった。
人間関係はどんな場所にいても苦手な人が存在する。
また不思議なことに一方がということもなく、
お互いが苦手意識を持つような気がしている。
自分が思っている時は、たいてい相手も思っている。
割合は7:2:1か、6:2:2くらいだろうか。
どちらでもない人が過半数を超え、
気の合う人と合わない人のバランスだ。
やはり1割2割はどうしても苦手な存在になってしまう。
あの人さえいなければ……
そんなことがたびたびあった。
環境が変わっても、どこにいっても同じだった。
そして好感ある人がいたとしても苦手な人に囚われる。
気持ちが苦手な人ばかりに注目してしまう。
まさに敵のような感覚に襲われている状態だ。
考えたくないのに気が向いてしまうために、
いやな感情ばかりを繰り返し心身に与えてしまう。
攻撃されないか見張っているような視線追いや、
見張られてるような緊張感も沸き立つ。
なぜ?
そしてそこに違いがあるとしたら、
その相手に対して牙を向けるか逃げ出すか。
闘うか逃げるか思考なのかもしれない。
不安だから攻撃的になってくのかもしれないし、
不安だから逃げ出そうとするのかもしれない。
もしくは逃げられないから攻撃的にならざるを得ないのかもしれない。
そこにコミュニケーションがあれば変わるのか?
それでも違和感を感じながら接しなければならないのも苦痛だ…
表向きに攻撃的な分かりやすい人もいやだが、
裏向きに攻撃的な人たちがいる。
その他大勢には良さそうなイメージがある中で、
対象の人だけを狙ってるかのような鋭いひと。
考えるだけでも苦しい。でも悲しいことに存在する。
みんなどうしているのだろうか。
私は、近づきたくなくなってしまうから。
闘う戦力もない。その前に尽きる。静かに身を引く。
離れよう離れようと思うほど対面したくなくなるものだ。
あぁ、見えない厄介な壁が立ち塞がる……
自分を責めている人がいたら教えてあげてほしい。
私も知るのが遅かったから、子ども社会にだってある。
救いたかった自分がたくさんいるから(今もだけど)
きっと同じような人もたくさんいると思う。
知ることで少しでも変われることがあるのなら
もっと知識を身につけたほうがいい。
そういうのを教えて欲しかったからこそ、
(教えては貰えなかったからこそ)
誰かにも教えてあげたい。一緒に知りたい。