サイコパスの友情3
人間の喜怒哀楽の感情で最も分かりやすく扱いやすいのが「怒り」の感情だと思っている。
怒りは防衛本能から来る物であってとても原始的な感情。
複雑な言語を操り「理性」とやらを持っている筈の人間様ですら簡単にその原始的な感情に乗っ取られる。
三大欲求と言う物が有る。
順序的に強いものから「睡眠欲」「食欲」「性欲」となっているが、次いでここに人間特有の地位や経済への欲求が加わって行くのだけれども普段からこの三大欲求の、特に生きる為に必要な睡眠欲と食欲が満たされている人については欲求の順序が逆転する様に思えてくる。
先ず何が欲しいと訊かれると「お金」と答える人も多いと思うが「地位」や「名声」と言った物も心理的に強く欲している。
それらを得た先に有るものは生きる事とは直接関係がない「自分が何か気持ちよくなる事」に全て回帰する。
お金は生きる上で必要なものだけれども、沢山持っている事で相対的に自己と他者とを比較し優越感に浸れる。残った性欲もある程度以上に満たせて欲しい物だってほとんどの物はお金で手に入る。それで何だか気持ちよくなる。
「地位」や「名声」もそう。他人に「あなたは偉い、凄い」と言われ、その証明と保証が欲しい。周りからはちやほやされて承認欲求がみたされる。そして何だか気持ちよくなる。
こっちの全部持ってる系のグループ達の度が行き過ぎてくると「利権」という大切な「金のなる木」の為に自分とは関係ない人間の命を道具として使って代理戦争をする。
もうちょっと小悪党の所も見てみる。
会社で嫌な上司や同僚の陰口を言って楽しんでる。人としてあまりよろしくない行為だが、これは他人と仲良くなる方法として良いらしい。
自分に伸びしろが無く自己肯定感の低い奴のすることの例えと言えば、自分より出来る奴の足を引っ張って相手を引きずり降ろし相対的に自分の価値を上げようとする事など。そうすると承認欲求が満たされる。
それで少し気持ちよくなる。
部下に偉そうに接している上司や、自分より弱い相手にだけに横柄な態度をとる人。彼らは愚かで分かりやすく非常に扱いやすい人種なので私からすればどうでも良い存在。他人に迷惑だけ掛けないでくれたら良い。
軽く列挙してみたが最終的に「生きるだけ」が容易になってくると「もっと良い生活をしたい」と言う向上心が湧いてくる。これは決して悪い事では無い。
究極を求めそこから哲学が生まれ、科学で証明しようとする。承認欲求が悪では無いのだがそれも限度と言うものもある。
議題にしない内容もいくつか有るけど、人間と言うものは結局は他人からの評価が気になって気になって仕方がないの。
そして成功した時に受ける充足感を脳が学習してしまう。
ドーパミンが出まくる。そう、気分が良い。
それを繰り返すうちに、こうすれば気持ちよくなるよ、と脳が勝手に司令を出す様になる。
アルコールや薬物の依存症の原理もこのメソッドが脳に一連の回路を作ってしまうからであって、客観的には「個性」だの「性格」だので処理されるが私から言わせるとそれは既に心の病的症状。
人はドーパミンを放出させる行為に極度に依存する。
それが単なる承認欲求を満たすと言う一見子供じみた事に対しても全力を注ぐ様になる。ドーパミンが出るからだ。そしてその因果関係の「結果」を最重要化するあまり原因となる物に気づかず他人を傷つけている事にも気づかない。
そういうヤツに限って「相手の立場になって考えな」などと「相手の気持ち」なんて深掘りして考えもした事など全く無いくせに説教してくる。
私はこんな戯言を言う人を見るとその善意の真贋を見通した先に、稀に出会う本当の優しい人に対してはとても敬意を感じ逆に危なっかしいとも思う。
要するに「自分が気持ちいい事」が主体なのか「これを一方的に与えて相手は迷惑しないだろうか?」と悩める人は全く思考形態が違う。
私の幼馴染はどうか。
当然今言った以上の負の方の集大成である。
こんなやつ(既婚者)がまた性懲りもなく女性を捕まえて車で片道2時間掛かる私達の地元まで来させてビジネスホテルまで自腹で泊まらせて割り勘で飲みにいく。
私は過去に大病を患って以来お酒は二度と飲まないと誓っている
しかし彼はその彼女と3人で飲みに行くと言う事を週一で誘って来る。正気の沙汰ではない。
そしてこの行動の原理は全て自分の承認欲求を満たすこと。だから自分を全肯定してくれる女性と「肯定してればとりあえず満足してるからいい」と言う事を「知っていて肯定してる」私が選ばれる。
が、いい加減最近は限度が過ぎるのでこれらはやんわりと建前で断っていた。しかし共感の心が皆無のコイツに建前は通用しない。
実際「もう行きたくない」と言う本音を言うと「お前の為に飲みに誘ってやってるのに。何なら半分奢ってるから俺はイイヤツだ」と言う自分で勝手に作り出した理想像に近似することで自己肯定感を満たす原動力を批判され、その大事な自己肯定感が満たされない事への不満から怒りが生まれる。
その発言とその後の行動は手に取る様に分かっていたし、やはり案の定な行動は見てて滑稽だったが何だか少し寂しかった。
そしてしかし想定外の副作用まで出てきてそこに今悩んでいる。
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