古代壁画と”教養”
”世界の教養” 視覚芸術の第1日目にしてちょっと挫折しそう。
ラスコー洞窟は受験で覚えた記憶があるくらいだから、有名な壁画で、だからいろんな解説がなされるんだろうけれど、受験から解放されて、普通に絵画や音楽を楽しむ感覚で壁画を見ると、なんでこんな解釈をしたがるのかが不思議。
昔の人だって、感じたままにただ描いただけかもしれない。
遊びながら、意味なく描いただけかもしれない。
ほんとに呪術的な意味がこもっているのかもしれない。
でも、なんだっていい。
見た人が自由に楽しめば。
ああ、”教養”って、こういうつまらなさもあるんだ、と今さらながらに実感。
でも、受験のなくなった大人になったからこそ、素直に壁画を楽しめるかもしれない。そういう意味では、再びラスコー洞窟なんて、忘れかけていたものを違う視点で示してくれた”教養”は、物の見方を再構成させる良い機会なのかもしれない。
この絵はどのように解釈されるんだろうか。
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