「その本は」から生まれたエッセイ
その本は、ただいま漂流中
「ボトルに手紙を入れて
海に流すようなことを、
人間は本という形に託して、
ずっとつくりつづけてきたのである。」(その本はの一節より)
裏通りにある小さな本屋。店の前に置かれた箱には、古本が綺麗に並べられている。
店の中に入れば、販売台の一つのぐるり一周が新刊で、他は古本。
新刊は、店主が自分で選書しているそうだ。ふむふむ、あなたが読んで欲しい本たちなのね。
大きな本屋で、平積みになっている表舞台用の本はない。ここへ来なければ、一生出会えない本たちが並んでいる。
販売部数何万部!とか、そんな華やかな世界とは無縁の一冊。
そんな本屋に行ったからだろうか、それとも「その本は」を読んだからだろうか、面白い夢を見た。
月へ行くメンバーに選ばれ、事前合宿に参加した。
そこは、私の拠点の三つの家と、校舎がごちゃ混ぜになったような建物で、新メンバーの空君とりんちゃんを案内していた。私は62歳、空君とりんちゃんは高校生。
控え室で待っていた、空君とりんちゃんのご両親が、「なんのために月に行くのか?」と質問してきた。「えっ、私は主催でも責任者でもないのに」と思いつつ、職員室に行くと、担当の先生は不在で、チラシを渡された。控え室へ戻りながら、チラシに目をやる。
オレンジ色の紙に、文字だけのチラシがやけに陳腐だった。陳腐なチラシをみながら、私が月に行くのも3回目だなと思った瞬間に、「選ばれた」と使命感でいっぱいの夢から覚めた。夢の中で夢から覚めた。
月へ行くことなんか、陳腐なチラシで構わない時代になっていたんだ。
それに気づいた私は、控え室へ戻る前に、「夢」から目覚めた。
「その本は」にでてくる、でっちあげの物語。
それは、これから書く小説のネタじゃないのか。
ボトルに手紙を入れて海に流すように、無数の本が出版される。
一冊の本との出会いは、ボトルの手紙を見つけるような、そんな奇跡的なことなのかもしれない。