【掌編小説】 こーれーぐーす
沖縄そばを、ご存知だろうか。
私は、今日の昼、初めてお店で沖縄そばを食べた。
店以外のどこで食べたのかといえば、袋麺である。
健康によくないとしても、インスタント食品は好きだ。
しかし、同じものばかり食べていては飽きてしまう。
ノンフライだ、秘伝のタレだ、こだわりのあれだと書かれたラーメンも、どれだけ美味しかったとしても、続けて食べていると味がよくわからなくなってしまう。
変わり種として「沖縄そば」と書かれた商品を一袋だけ買った。
「沖縄といえば、こんなもんでしょう」といわんばかりに、南国を想起させる(決して、駄洒落のつもりではない)植物やら、建物やら、狛犬のような……これはシーサーというのだったか……それらが書かれた黄色のパッケージだった。
どこぞのカップうどんを連想させる味がした。
あまり期待していなかったが、それなりに美味しかった。
いやしかし、本物の沖縄そばはどんな味がするのだろう。
暑さの苦手な私が、自ら沖縄を訪れることは、おそらくない。
沖縄が、私のところに来てくれ。
なんて無茶なことを考えたところで仕方がない。
それに、私の住んでいるところまで沖縄の気温と、歌って踊る陽気な気質を持ってこられては、たまったものではない。
いや、実際に行ったこともなければ、沖縄の知り合いもいないので、全ては私の偏見である。
んー、沖縄そば、食べてみたい。
そうと決まれば、ネットで検索。
自宅からは少し遠いが、車で移動できる範囲にある沖縄料理屋を見つけることができた。
店は、知らなければ通り過ぎてしまう、住宅街にぽつりと建っていた。
水色の壁と「沖縄そば」「タコライス」「サーターアンダギー」などと書かれた旗が目印だ。
「めんそーれ〜」
いらっしゃいませ、の代わりであろう聞き馴染みのない出迎えの挨拶にオドオドしながら、席につく。
店内では、沖縄民謡が流れていた。
聞いた瞬間にそれとわかる、琉球音階の独特な音使いと楽器の音色。
なんだか、異国に来たような気分だ。
もしかすると気分だけではないのかもしれない。
日本語で書かれているはずなのに、何やら馴染みのない言葉がメニューにたくさん並んでいた。
店員さんを呼んで、おすすめを教えてもらおう。
ランチセットから、沖縄そばとじゅーしーを注文した。
じゅーしーは、沖縄風炊き込みご飯らしい。
料理を待っている間、店内を見渡すと2018年の新聞が額に入れられてドンッと飾られているのが目に入った。
安室奈美恵だ。
「歌姫、ファイナル」の見出しに、なにやら本人のメッセージも書かれているようだ。遠くて、私には読めないが。
私の好きだったお笑いタレントが、彼女のことをめっぽう好いている熱烈なファンであったことをきっかけに、曲をいくつか聴いた覚えがある。
あとは、学生時代、運動会で彼女の曲を踊らされた気がする。
(運動神経が壊滅的であるため、私にとってダンスはただの公開処刑だった。苦行だ)
そういえば、彼女は沖縄出身だったのか。
家に帰ったら、久しぶりに安室ちゃんの曲を聴くとしよう。
「お待たせしました。お熱いので、お気をつけください」
来たぞ、沖縄そば。
「コーレーグースは、ご存知ですか?」
なんだって?
私は、首を横に振って応えた。
「そちらの、」
店員が指した先を見る。
”お酒”と書かれた小さな瓶に鷹の爪に似た、少し違う何かが浮かんだ液体調味料があった。
「お好みでかけて、味変してみてください。お酒なので、運転される方は、ちょっと、気をつけていただいて」
ほうほう。
島とうがらしを泡盛に漬け込んだものと説明書きがついている。
私は酒に弱いのだけど、流石に数滴垂らした程度で酔っ払うことはないだろう。
まずは、そのまま一口。
袋麺など比にならない、豊かな出汁の香りが食欲をそそる。
これは、鰹か?
うどんの出汁に似ているが、それとも違う。
肉の気配も感じる。
じゅーしーはどうだ。
見た目は、給食のひじきごはんに似ている。
これも出汁だ。
椎茸の旨みが米全体によく染みている。
香り高い! たまらん!
おっと、忘れてはいけない。
そばに、コーレーグースを垂らしてみよう。
んー! 思ったよりも、純粋に辛いッ。
酒臭くなることを想像していたが、全くそんなことはない。
出汁の旨みがより引き出されたように感じる。
なんだ、これは。
もっとかけたい。
500円で販売しているらしい。
買って帰ろう。
ウキウキと会計に向かった私に、店員はコーレーグースについて説明してくれた。
「こちら、辛子の色が薄くなってきたら終わりの合図ですが、それまではお酒を足してお使いいただけます」
え、お酒継ぎ足したらいいの?
「はい、3回くらいはできますよ。お家の料理酒でも大丈夫です。その場合は、度数が低いので保存は冷蔵庫にしていただいて、」
料理酒の度数が……低い?
「うちで使っている泡盛は43で、それくらいだと常温でも大丈夫です。容器をお持ちいただいたら、300円で継ぎ足しできますよ」
泡盛って、そんなに度数が高かったの?
とたんに、鼻の頭から汗が吹き出した。
私、大丈夫だろうか。
おいしかったし、調子に乗ってわりとかけてしまったのだが。
(とはいえ、7〜8滴だ)
美味しい調味料をゲットした喜びと、あわや飲酒運転になってしまうのではと恐怖に震えながら、運転席に戻って調べてみると、どうやら杞憂だったらしい。
ほっとすると、汗もひいた。
ほんのりと、心地よい温かさだけが身体に残った。
また、いつか食べにこよう。
さて、家に着いたし、安室ちゃんの曲をば。
ん?
某サブスク(定額制音楽配信サービス)を開いて愕然とした。
ないのだ。
彼女の楽曲が。
全て消えてしまったわけではないが、あの、少し憎くも思っていた運動会で踊らされた曲やら、何かのテーマソングになっていた曲やら。
見当たらない。
聴けないのか?
熱心なファンでもなかった私は、CDのひとつも持っていない。
そもそも私は、彼女に限らずどのアーティストのCDも持っていないし、ダウンロード購入も殆どしていないのだ。
なんてことだ。
”いつか”ではなく、できるだけ早いうちに、また沖縄料理屋を訪れようと思った。
買って帰ったコーレーグースもたくさん使おう。
私にとって、美味しいうちに。
その味を、よく覚えておけるように。